ここまでで、用語の土台(第1章)→価格形成の三層(第3章)→諸原則(第4章)→三定点(第5章)を整えてきました。本章では、いよいよ実務の“エンジン”――原価方式/比較方式/収益方式、そしてそれぞれに対応する原価法・取引事例比較法・収益還元法――を、教科書の条文から“運転マニュアル”へと翻訳します。まずは方式の全体像と、試算価格を求めるときの共通留意点を押さえ、そのうえで各手法の**当たりどころ(強み)とハマりどころ(注意点)**を具体例とともに掘り下げます。
1. 三方式の鳥瞰と「共通の作法」
不動産の鑑定評価には、原価方式=再調達に要する原価に着目、比較方式=取引(賃貸)事例に着目、収益方式=将来収益に着目という三つの見方があり、価格・賃料を求めるときはそれぞれに対応する手法を用います。複数の手法で得た値は試算価格(または試算賃料)と呼び、のちに「試算価格の調整」で説得力の差を見極めて最終判断へと束ねます。ここでまず強調されるのが、一般的要因は手順のすべてで常に考慮し、価格判定の妥当性検討に活用すべきだということ。市場の地合いを手続きの最初から最後まで通奏低音として流し続ける姿勢が求められます。
また、各手法では必要な事例の収集と選択が生命線です。建設事例・取引事例・収益事例(総称して取引事例等)は、計画的に収集・精査して適用に耐える“体格”を持たせる。ここを怠ると、立派な数式も砂上の楼閣になってしまいます。
2. 原価法――「積み上げる力」と減価修正の精度
定義はシンプルです。価格時点における再調達原価を求め、これに減価修正を施して試算価格(=積算価格)を出す。適用は建物または建物+敷地でとりわけ有効、土地のみでも再調達原価を適切に求められるなら適用可能――というのが条文の骨格です。
再調達原価は「その不動産を今つくり直すといくらか」。建設資材や工法が変わって正確な置き直しが難しければ、同等効用の置換原価で代替します。求め方は、対象そのものの単価と数量から積み上げる直接法、類似不動産をてこに補正して移してくる間接法の両刀。付帯費用や標準的な開発リスク相当額、資金調達費など“価格に効く周辺費用”も見落とさないのが鉄則です。
減価修正は「今の姿に合わせて価値を擦り合わせる」工程で、減価の要因に着目した部分的かつ総合的な検討で額を定めます。造成直後からの地域要因の熟成(道路・上下水・商業利便などの整備)を加算できる場面も明示されており、造成~現在の環境変化を丁寧に読み取る“時間の感覚”が求められます。
向いている局面の具体像を一つ。築浅で建物仕様の透明性が高い物流施設。建設明細・単価・数量が揃い、最近のコスト上昇も時点修正で反映できるなら、原価法の説明力は強い。ただし賃料相場や利回りの動き(収益面)を無視しないこと。次節以降の手法と相互検証して、積算の“言い過ぎ”を抑えます。
3. 取引事例比較法――「代替・競争」の視点を外さない
比較方式の中核、取引事例比較法は、適切な時点修正を経て、地域要因・個別的要因の比較を行い、代替・競争関係が成り立つ土俵で値を合わせていく手法です。同一需給圏の類似地域や代替競争不動産かどうか、そこを外すと比較が空振りする――条文の書きぶりも、ここを強く意識させます。
運転のコツは三つ。第一に、事例の事情性(親族間・付帯条件・瑕疵修補の約束など)を丁寧に除去して“市場性”へ整形すること。第二に、地域・個別の比較項目を事前に設計し、評価対象に関係ない項目でノイズを増やさないこと。第三に、**HBU(最有効使用)**に適う事例かどうか。現況がHBUとズレていれば、比較の軸もブレます。比較は“形だけ”ではなく、競争原理に耐える相手選びが命です。
ハマりどころは、近さや面積の一致に安易に頼ること。徒歩分数が近くても、歩行者動線や街区の囲まれ感が違えば、商業地の売上期待は別物です。数字より先に人流・視認性・用途適合を映像的に把握する。比較法で“勝つ”のは、実は現地読解力です。
4. 収益還元法――「直接還元」と「DCF」をどう使い分けるか
収益方式の中核である収益還元法は、一期間の純収益を還元利回りで割る「直接還元法」と、複数期間の純収益+復帰価格を割引率で現在価値に合算する「DCF法」の二系統。条文は両者の定義と式を明快に示し、どちらを選ぶかは収集可能資料の範囲、対象類型、依頼目的に即して決めよと指示します。
還元利回りと割引率は似て非なるもの。還元利回りは一期間の純収益から価格を直接求める率で、将来変動の予想と不確実性も抱き合わせ。一方、割引率は将来収益を現在価値に戻す率で、DCFの見通しにすでに織り込んだ変動予測分は二重に入れない――この“役割分担”を外さないこと。求め方としては、事例比較、借入金と自己資金の加重平均、金融資産利回りに不動産個別性を加味するアプローチが例示されています。用途・地域・品等で水準が違うことにも必ず留意します。
直接還元法は、安定稼働が見込める物件で効きます。市場賃料・空室損・運営費の“平常化”が肝。DCF法は、賃料改定・大規模修繕・用途転換・テナント入替など時間変動が大きい局面で威力を発揮します。証券化対象では、収益費用項目の定義統一や複数物件間の論理的整合性、そして他手法との関係説明が明確に求められます。
具体例でイメージを固めましょう。築20年の賃貸マンションで、2年後にエレベーター更新、4年後に外壁改修が予定され、来期から一部住戸の賃料改定も控える――こうした“段差”があるときは、DCFで支出の発生時期と改定後賃料のラグを正確にトレースし、復帰価格の査定では最終還元利回りの根拠と直接還元による検証を合わせて説明する。条文が求める説明責任の中身は、まさにこの運転です。
5. 「手法の選択」と「説得力の差」をつくる勘所
手法の当たりどころは物件ごとに違います。建物仕様が透明でコスト把握が効く→原価法に強み。活発な市場で事情性の整理ができる→取引事例比較法の説得力が上がる。将来のキャッシュフローに段差がある、証券化・ファイナンス文脈→DCF法が本領。とはいえ、どれか一つに寄り切らず、互いの弱点を補い合う使い方が基本です。収益と取引の乖離が大きい局面では、**「取引が先走るときは収益がブレーキ役」**という条文の示唆も使えます。
また、報告書での開示では、DCFで用いた前提・率・数値項目の定義明確化、採用過程の説明、他手法との整合が不可欠。複数件を同時に扱うときは、最終還元利回りや割引率の整合性にも気を配る。数字の出し方以上に、“なぜそう置いたか”の筋道を言語化する力が、試算価格の調整での“説得力の差”になります。
6. ミニケース:駅前雑居ビルの「直接還元 vs DCF」
駅徒歩3分、雑居ビル、低層店舗は堅調だが、上層の小区画オフィスは入替頻度が高い。5年後に外壁改修、8年後に設備更新の計画。こうした物件では、現況の平常化純収益に基づく直接還元で“現在の地合いの射影”を素早く掴みつつ、DCFで空室の山谷・修繕の出入りを刻み、復帰価格の利回り設定を代替物件との競争力と金融市場の水準から説明する――二本立てが堅実です。条文に沿った還元・割引の役割分担を誤らなければ、両者は矛盾せず、むしろ相互検証で厚みが出ます。
7. まとめ――「選ぶ・積む・語る」の三拍子
- 選ぶ:方式・手法は資料の質と依頼目的から選ぶ。比較は代替・競争の土俵づくりがすべて。
- 積む:原価法は再調達原価+減価修正の精度が命。付帯費用・熟成の読みを忘れない。
- 語る:収益還元は直接還元とDCFの役割を明確化し、率の根拠と整合を説明する。乖離が出たら他手法との関係を素直に語る。
次回は第7章「賃料を求める鑑定評価の手法」へ。新規賃料と継続賃料でなぜ設計思想が違うのか、積算法・賃貸事例比較法・収益分析法、そして差額配分法・利回り法・スライド法の“かけ方”を、契約実務と結び付けて解説します。