著者: Martin Palou, Ján Majling, Martin Dová¼, Jana Kozanková, Subbash Chandra Mojumdar
タイトル: Formation and stability of crystallohydrates in the non-equilibrium system during hydration of SAB cements
掲載誌: Ceramics − Silikáty
出版年: 2005
巻数: 49(4)
ページ: 230-236
Motivation: 低エネルギーセメントの可能性を探る
地球温暖化対策が急務となる中、セメント産業においても環境負荷の低減が求められています。本研究は、従来のポルトランドセメントに代わる低エネルギーセメント(LEC)の一種である「スルホアルミネートベライトセメント(SAB)」に着目しました。SABセメントは、天然原料や産業副産物から製造でき、環境に優しく、生産コストも比較的低いという利点があります。しかし、その水和反応のメカニズムや生成物の安定性については、まだ十分に解明されていません。
特に、本研究では「C2AS–C4A3S–CS–C2S–C系」という特殊なSABセメントに焦点を当てました。この系には、ゲーレナイト(C2AS)という鉱物相が含まれています。ゲーレナイトの水和特性はあまり知られていませんが、理論的にはゲーレナイト水和物(C2ASH8)を生成する可能性があります。この水和物は、高炉スラグセメントや高アルミナセメントの水和生成物として知られており、長期的な強度発現に寄与すると考えられています。
そこで本研究では、C2AS–C4A3S–CS–C2S–C系のSABセメントの水和反応において、ゲーレナイト水和物とエトリンガイトという2つの結晶水和物がどのように形成され、非平衡・不均一系でどのような安定性を示すかを明らかにすることを目的としました。
Method: 多角的なアプローチで水和反応を解明
研究チームは以下のような実験手法を用いて、SABセメントの水和反応を多角的に分析しました:
- 鉱物相の合成: C4A3S、C2S、C2AS、CSなどの個別の鉱物相を化学試薬から合成
- サンプル調製: ゲーレナイト水和物とエトリンガイトの比率を変えた8種類のサンプルを作成
- 水和反応の追跡: 伝導熱量計を用いて70℃での水和反応を測定
- 水和生成物の分析: X線回折(XRD)によって24時間後と28日後の水和生成物を同定
- 微細構造観察: 走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて28日間水熱養生後の微細構造を観察
この実験設計により、水和反応の初期段階から長期的な変化まで、幅広い時間スケールでの挙動を捉えることができました。また、熱量測定、結晶構造解析、微細構造観察という異なる手法を組み合わせることで、水和反応のメカニズムをより深く理解することが可能となりました。
実験手法の詳細
鉱物相の合成では、C4A3Sは1250℃、C2Sは1300℃、C2ASは1450℃で焼成しました。これらは2回焼成し、中間で粉砕して粒度を40µm以下に調整しています。C2SとC2ASは急冷して多形変態を防止しました。CSは石膏を350℃で加熱して得ています。
水和反応の測定では、定められた水セメント比でサンプルを混合し、70℃で伝導熱量計を用いて測定しました。また、ペーストサンプルは28日間水熱条件下で養生されました。
これらの詳細な実験条件設定により、実際のセメント硬化過程に近い環境下での水和反応を再現し、より実用的な知見を得ることができました。
Insight: エトリンガイトの不安定性と水和反応のダイナミクス
研究の結果、以下のような重要な知見が得られました:
1. 初期水和反応の特徴
伝導熱量計の測定結果から、水和反応には2つのピークが観察されました。最初のピークは鉱物相の溶解に関連し、2番目のピークは主にエトリンガイトの生成を示しています。興味深いことに、反応の強度はエトリンガイトの量ではなく、C4A3Sの含有量に強く依存していることが分かりました。
2. エトリンガイトの不安定性
24時間後のXRD分析では、純粋なゲーレナイトのサンプルを除くすべてのサンプルでエトリンガイトが主要な水和生成物として検出されました。しかし、28日後の分析では、エトリンガイトが分解してモノサルフェートに変化していることが明らかになりました。これは、硬化したペースト中での硫酸イオンの不足が原因と考えられます。
3. ゲーレナイト水和物の形成
28日間の水熱養生後、SEMによる観察でゲーレナイト水和物の結晶が確認されました。特に、ゲーレナイト水和物の割合が高いサンプルでは、ポア構造内に結晶が局在化し、C-S-Hゲルに囲まれた状態で結晶同士が結合し始めている様子が観察されました。
4. 微細構造の変化
ゲーレナイト水和物が優勢なサンプルでは、緻密な微細構造が形成されていました。一方、エトリンガイトの割合が高いサンプルでは、エトリンガイトからモノサルフェートへの変換に伴い、微細構造の劣化が観察されました。
これらの結果は、SABセメントの水和反応が非平衡・不均一系で進行する複雑なプロセスであることを示しています。初期に生成するエトリンガイトは長期的には不安定であり、モノサルフェートに変化する傾向があります。一方、ゲーレナイト水和物はより安定した結晶構造を形成し、セメントの長期強度発現に寄与する可能性があります。
水和反応メカニズムの詳細考察
水和反応の進行に伴い、鉱物粒子は初期の水和生成物に覆われ、アンハイドライトの溶解速度が低下します。この結果、系内の硫酸イオン濃度が低下し、エトリンガイトの安定性に影響を与えます。また、C2Sの水和によって生成するC-S-Hゲルとカルシウム水酸化物は、周囲の液相のpHを上昇させ、これもエトリンガイトの分解を促進する要因となっています。
一方、ゲーレナイト水和物の形成は二次反応を通じて進行すると考えられます。C-S-Hゲル、Ca(OH)2、Al(OH)3が反応してゲーレナイト水和物を生成する過程が想定されます。この反応は比較的遅いため、長期的な強度発現に寄与する可能性があります。
Contribution Summary: SABセメントの水和メカニズムを解明
Palou氏らは、環境負荷低減のためのSABセメントの水和反応メカニズム解明という課題に対し、C2AS–C4A3S–CS–C2S–C系を対象とした詳細な実験を行い、エトリンガイトとゲーレナイト水和物の形成過程と安定性に関する新たな知見を得ました。特に、非平衡・不均一系での結晶水和物の挙動を明らかにしたことで、SABセメントの実用化に向けた重要な基礎的理解を提供しました。
Unknown: 残された課題
本研究によって、SABセメントの水和反応に関する重要な知見が得られましたが、以下のような課題が残されています:
- ゲーレナイト水和物の形成メカニズムの詳細: 二次反応を通じて形成されると推測されていますが、その具体的なプロセスはまだ十分に解明されていません。
- エトリンガイトからモノサルフェートへの変換が強度発現に与える影響: この変換過程が長期的な強度や耐久性にどのような影響を及ぼすかは、さらなる研究が必要です。
- 実際の使用条件下での挙動: 本研究は主に実験室条件下で行われており、実際の建設現場での使用条件下での挙動については不明な点が残されています。
- 添加物の影響: 様々な混和材や添加物がSABセメントの水和反応にどのような影響を与えるかは、今後の研究課題となります。
- 長期的な耐久性: 数十年単位での耐久性や性能変化については、さらなる長期的な観察が必要です。
今後の展望と課題
本研究の結果を踏まえ、SABセメントの実用化に向けて以下のような展望と課題が考えられます:
- 配合最適化: ゲーレナイト水和物とエトリンガイトの生成バランスを考慮した配合設計の最適化が必要です。
- 養生条件の検討: 水熱養生条件がゲーレナイト水和物の形成を促進することが示唆されたため、実用的な養生方法の開発が求められます。
- 添加剤の開発: エトリンガイトの安定性を高める、あるいはゲーレナイト水和物の形成を促進する添加剤の開発が期待されます。
- 長期性能評価: 実構造物レベルでの長期耐久性試験や性能評価が必要です。
- 環境影響評価: SABセメントの製造から使用、廃棄までのライフサイクルアセスメント(LCA)を行い、従来のセメントと比較した環境負荷低減効果を定量化する必要があります。
読者へのインパクト: 持続可能な建設材料への道
本研究は、環境負荷の低いセメント開発という現代社会の重要課題に対する重要な一歩です。得られた知見は、以下のような形で私たちの生活に影響を与える可能性があります:
- 環境負荷の低減: SABセメントの実用化が進めば、セメント産業からのCO2排出量を大幅に削減できる可能性があります。これは地球温暖化対策に大きく貢献します。
- 建築物の長寿命化: ゲーレナイト水和物の形成による長期強度発現が確認されれば、より耐久性の高い建築物の建設が可能になるかもしれません。これは、資源の効率的利用にもつながります。
- 新しい建築デザインの可能性: SABセメントの特性を活かした新しい建築材料や工法の開発が進む可能性があります。これにより、これまでにない形状や機能を持つ建築物が実現するかもしれません。
- 産業廃棄物の有効利用: SABセメントの原料として産業副産物が使用できることから、廃棄物の有効利用が進み、循環型社会の実現に貢献する可能性があります。
- 建設コストへの影響: 長期的には、SABセメントの普及により建設コストの削減や維持管理コストの低減が期待できるかもしれません。これは、インフラ整備や住宅建設のコストに影響を与える可能性があります。
この研究は、まだ基礎的な段階ですが、その成果は将来的に私たちの生活環境や地球環境に大きな影響を与える可能性を秘めています。持続可能な社会の実現に向けて、セメント産業の変革が進むことが期待されます。
専門家向け:SABセメントの実用化に向けた技術的課題
SABセメントの実用化に向けては、以下のような技術的課題の解決が必要です:
- クリンカー焼成温度の最適化: SABセメントのクリンカー焼成温度はポルトランドセメントより低いですが、工業規模での最適な焼成条件の確立が必要です。
- 鉱物組成の制御: C4A3SやC2ASなどの鉱物相の生成を精密に制御する技術の開発が求められます。
- 初期強度の確保: SABセメントは一般的に初期強度が低いため、この問題を解決する添加剤や配合技術の開発が必要です。
- 水和熱制御: 大量打設時の温度上昇を抑制するための技術開発が求められます。
- 耐久性評価: 塩害、中性化、凍害などに対する長期的な耐久性評価方法の確立が必要です。
- 品質管理技術: 工業生産における品質のばらつきを抑制し、安定した性能を確保するための技術開発が求められます。
これらの課題を解決することで、SABセメントの実用化と普及が促進され、建設産業の持続可能性向上に大きく貢献することが期待されます。