はじめに – 八潮市で起きた衝撃的な事故
2025年1月28日午前5時頃、埼玉県八潮市の県道交差点で突如として直径約10メートルの巨大な穴が開き、走行中のトラックが転落するという衝撃的な事故が発生しました。この穴は日を追うごとに拡大し、約1週間後には直径約40メートルにまで広がる事態となりました。
この事故の原因は、地下約10メートルを通る直径3メートルの下水道管の破損でした。管内に路面下の土砂が地下水とともに吸い込まれ、空洞が発生したことで道路陥没に至ったのです。さらに深刻なことに、この下水道管は埼玉県東部12市町、約120万人の生活を支える「流域下水道」の幹線だったため、影響は広範囲に及んでいます。
専門家によると、完全復旧には2〜3年かかる見込みで、その間住民は下水道機能が脆弱な状態での生活を余儀なくされています。この事故は、私たちの生活を支える地下インフラの重要性と、その維持管理の難しさを改めて浮き彫りにしました。
シールド工法で作られる下水道管の構造
八潮市の事故現場のような大規模な下水道管は、多くの場合「シールド工法」と呼ばれる技術で建設されています。シールド工法は、シールドマシンという円筒状の巨大な掘削機械を使って地下にトンネルを掘り進める工法です。
シールドマシンの先端には、カッターヘッドと呼ばれる回転する円盤があり、そこに取り付けられた数百個の硬い金属の刃(カッタービット)で土を掘削します。掘った部分が崩れないよう、マシンの内部では鋼製またはコンクリート製のブロック(セグメント)をリング状に組み立てて、トンネルの壁を構築していきます。
この工法の最大の利点は、地上部分を大きく掘り下げる必要がないことです。都市部のように建物が密集し、交通量の多い場所でも、地上への影響を最小限に抑えながら地下にトンネルを建設できます。日本では1960年代から本格的に導入され、東京や大阪などの大都市の下水道網整備に大きく貢献してきました。
シールド工法で構築された下水道管は、従来はセグメントを組み立てた後、内側にコンクリートで二次覆工を施すのが一般的でした。しかし、このコンクリート二次覆工には大きな弱点があったのです。
見えない敵・硫化水素がもたらすコンクリート腐食
下水道管内では、想像以上に過酷な化学反応が起きています。その主役となるのが「硫化水素」という気体です。硫化水素は腐卵臭を放つ有毒ガスとして知られていますが、下水道管にとっては構造そのものを破壊する「見えない敵」となります。
下水道管内での硫化水素の発生メカニズムは次のようになっています。まず、下水中の有機物が嫌気性環境(酸素がない状態)で硫酸塩還元細菌という微生物によって分解されると、硫化水素が発生します。特に、下水が滞留しやすい場所や、管路に高低差がある場所では、硫化水素の発生が促進されます。
八潮市の事故現場がまさにその典型例でした。現場では口径3メートルの管路から特殊マンホール内に下水が流れ落ち、そこから口径4.75メートルの管路へ流れ出る構造になっていました。このような高低差のある区間では、下水の落下によって硫化水素が空気中に放出されやすくなります。
空気中に放出された硫化水素は、管路の天井部分で硫黄酸化細菌によって酸化され、硫酸に変化します。この硫酸がコンクリートの主成分である水酸化カルシウムと反応し、可溶性の硫酸カルシウム(石膏)を生成します。硫酸カルシウムは水に溶けやすいため、コンクリートから溶け出し、構造物の強度が著しく低下してしまうのです。
研究によると、硫化水素濃度が高い環境では、コンクリートの表面pHが10.5から3.1まで急速に低下し、年間3.5ミリメートルもの速度で腐食が進行することが報告されています。50年間でおよそ17.5センチメートルものコンクリートが失われる計算になり、これは構造物にとって致命的な劣化となります。
なぜ今、問題が顕在化しているのか
日本の下水道は高度経済成長期の1960年代から1980年代にかけて急速に整備されました。当時建設された施設の多くが、現在50年以上経過し、耐用年数を迎えつつあります。国土交通省の試算によると、2019年度から30年間の下水道の維持管理・更新費は累計38兆円に達する見通しです。
さらに深刻なのは、下水道管の劣化が外部から見えにくいことです。道路や橋梁のような地上構造物と異なり、地下深くに埋設された下水道管の状態を把握することは技術的にも経済的にも困難です。国土交通省は2015年に下水道法を改正し、腐食の恐れが大きい箇所について5年に1回以上の点検を義務付けましたが、それでも全ての劣化を防ぐことは難しいのが現状です。
また、近年の気候変動により集中豪雨が増加していることも、下水道システムへの負荷を高めています。想定を超える雨水の流入は、管内の流速を上げ、硫化水素の発生を促進する可能性があります。
八潮市のような大規模な陥没事故は決して他人事ではありません。全国の下水道管路の総延長は約48万キロメートルに及び、そのうち老朽化が進む管路は年々増加しています。業界関係者の間では「下水道管路の5%は生物腐食の影響を受けている」という経験則もあり、潜在的なリスクは全国に広がっています。
まとめ – 見えない地下インフラの重要性
私たちの快適な都市生活は、地下深くに張り巡らされた下水道網によって支えられています。しかし、その維持管理には硫化水素による腐食という大きな課題が存在し、八潮市の事故はその深刻さを改めて示しました。
次回は、この課題に対する最新の対策技術について、FRPM管やエポキシ樹脂ライニングなどの防食技術を中心に詳しく解説します。また、今後の下水道インフラをどのように維持・更新していくべきか、技術的・政策的な観点から考察していきます。
参考文献
- 日本下水道事業団(2003)「下水道施設におけるコンクリートの微生物腐食とその対策」コンクリートジャーナル, 41(10), pp.8-14. DOI: https://doi.org/10.3151/coj1975.41.10_8
- Pramanik, S.K., et al. (2024) “Bio-corrosion in concrete sewer systems: Mechanisms and mitigation strategies” Science of The Total Environment, 921, 171231. DOI: https://doi.org/10.1016/j.scitotenv.2024.171231
- Li, X., et al. (2019) “The rapid chemically induced corrosion of concrete sewers at high H2S concentration” Water Research, 162, pp.95-104. DOI: https://doi.org/10.1016/j.watres.2019.06.062