セメントは日常のあらゆる景色に潜んでいます。マンションの躯体、橋の橋脚、校舎の床。そんな当たり前の材料の主役は、実は“見えないのり”——水と反応して生まれるナノスケールのゲルです。普通のポルトランドセメントでは C-S-H(calcium silicate hydrate)が、スラグやフライアッシュをアルカリで起こす AAM(アルカリ活性材料) では C-A-S-H(calcium aluminosilicate hydrate)や C-(N)-A-S-H が「のり役」を担います。本稿は、一般の方にも分かる言葉を基本にしつつ、研究を始めた学生が研究室でそのまま役立てられるくらいの深さまで、三者のつながりと今の到達点を一気に見渡すコラムです。
1. まずは“のり”の正体:C-S-HからC-A-S-Hへ
ポルトランドセメントに水を加えると、主相としてC-S-Hが析出します。これは整然とした結晶というより「秩序の薄い層状ナノ材料」で、14Åトバモライトに似た骨格を持つ、と考えるとイメージしやすいでしょう。材料科学の視点では、ケイ酸四面体が“鎖”をつくり、層間の水とカルシウムが構造を支える——そんな構図です。C-S-Hの平均的なカルシウム/シリカ比(Ca/Si)はおおむね1.2前後で、鎖の長さ(平均鎖長)や水和状態の変化で力学や耐久が揺れます。こうした構造モデルは詳細に提案され、トバモライト由来の鎖にアルミが入るとC-A-S-Hになるという見通しが、XRDや^29Si NMRなど多数のデータで裏づけられています。PMCResearchGate
AAMでは、スラグのようにアルミナ分を含む前駆体を強アルカリで溶かして再凝結するため、**C-S-HよりもAlを多く抱え込んだC-A-S-H(あるいはNaも入るC-(N)-A-S-H)**が支配相になります。Ca/Siはしばしば1.0付近まで下がり、アルカリ金属やAlの取り込みで層間や鎖の配列が変わり、乾燥収縮や炭酸化の反応性もポルトランド系とは異なる表情を見せます。White Rose Research Online
2. AAM(アルカリ活性材料)とは?——「セメント」を取り巻く第二の大潮流
AAMは、高炉スラグ、フライアッシュ、メタカオリンなどアルミノケイ酸塩系副産物・鉱物を、NaOHや水ガラスなどのアルカリで“起こし”、セメント様に硬化させる技術の総称です。二酸化炭素の負荷を下げうる実践的候補として、2010年代以降レビューや特集論文が蓄積されてきました。反応機構は前駆体のカルシウム量で分岐し、高Ca系(スラグ主成分)→C-(N)-A-S-H主体、低Ca系(フライアッシュやメタカオリン)→N-A-S-H主体という二極の理解が標準です。annualreviews.org
設計の肝は「アルカリ度、Si/Al供給、Caの有無」。たとえばスラグ系AAMは、Na/SiやAl/Siの比率、Mg由来の層状水酸化物(LDH)の生成を熱力学で押さえると、相組成や化学収縮、耐久挙動まで見通せます。近年は CNASH_ss のような C-(N)-A-S-Hを明示的に扱う熱力学モデル が実用域に達し、配合設計の指針づくりに使われています。Edinburgh Research
3. C-A-S-Hを「分子の目」で眺めると
研究者向けに一段踏み込みます。C-A-S-Hは、トバモライト風の鎖(Q^1〜Q^3サイト)にAlが主にブリッジサイトへ置換して入るのが基本像です。ブリッジの空孔やAlの入り方次第で、層間Caの存在量、層間水の量、平均層間距離が系統的に動き、^29Si/^27Al NMRやRietveld/QXRDでトレースできます。Ca/Siが1.4を超えるとCaリッチ相が混在しがちで、AAMのようにAlが豊富に供給されると鎖の切れ方(平均鎖長)も変調します。こうした挙動を矛盾なく整合させたモデル構築は、この10年で大きく前進しました。PMC
分子シミュレーションも強力です。C-S-Hのナノ多孔・水和構造をミクロに再現し、クリープや乾燥収縮といったマクロ現象の根っこに迫る試みが積み重ねられており、**「層間の水・イオンダイナミクスこそ性能のツマミ」**という直感を後押ししています。AAMのC-(N)-A-S-Hにも同様のアプローチが広がり、イオン置換と層間水の相互作用が耐久の“クセ”を生むことが見えてきました。PMC
4. 「低炭素化」はひとつの道だけじゃない:AAMとLC3の二枚看板
セメントのCO₂削減は、AAMを“第二の主流”に育てる道と、ポルトランド側を賢く薄める道の二枚看板で進んでいます。後者の代表が LC3(Limestone Calcined Clay Cement)。カルシネートした粘土(主にメタカオリン)と石灰石粉をカップリングで混和すると、クリンカーを約半分まで減らしても、普通強度・耐久を実用域に保てることが示されています。製造設備の互換性、原料の広域入手性、規格整備のしやすさなど、社会実装の“勘所”を押さえつつ、CO₂を大幅に削る戦略として急速に存在感を増しています。PMC
AAMとLC3は対立ではなく相補です。副産物資源や粘土資源の地域偏在、既存プラントの制約、規格改定のスピード——地域の現実に応じて最適解は変わる。研究の最前線は、両者の知見を行き来しながら「長期耐久」「施工性」「ライフサイクル評価」の三点で確度を高める方向にあります。ScienceDirect
5. 耐久性の論点:炭酸化・硫酸塩・塩化物とどう付き合うか
AAMの耐久は「配合(Na量・Si供給・Ca/Si・Al/Si)×組織(ゲル+LDHの量と質)×環境(CO₂、硫酸塩、塩化物)」で決まります。スラグ系では C-(N)-A-S-HとMg-Al-LDH が共存し、炭酸化でCa/Siがさらに下がって脆弱化するリスクや、pH低下・鉄筋不動態化の速度がポルトランドとは違う顔つきを示すことが知られています。設計段階から相平衡を読むことで、たとえば炭酸化環境に合わせたNa/Si設定や、Mg/Al比とLDH生成のバランス調整といった“手当て”が可能になります。総説レベルでは、AAMの耐久に関する進歩と課題が体系的に整理され、標準化への道筋も描かれています。Edinburgh Researchceramics.onlinelibrary.wiley.com
6. 現場目線の“使いどころ”——一般の読者へ
ここまでの話を、工事現場や街づくりの言葉に落としてみます。
- 身近さ:AAMやLC3のコンクリートは、見た目も施工手順も既存のコンクリートに近づいてきました。プレキャスト部材や舗装、庁舎の改修など、まずは用途を絞って導入する地域が増えています。
- 環境価値:同じ強度なら、つくるときのCO₂が少ない方が“得”。自治体の調達要件や建物の環境認証(LEED/BELS/CASBEEなど)と相性がよく、長期コストの観点でも合理化できます。
- 品質の鍵:AAMは「水よりもアルカリ溶液の設計が命」。配合の細かな最適化と品質管理(気温・湿度・前駆体ロット差の吸収)が、性能のバラツキを抑える決め手です。
“コンクリートはどれも同じ”という時代は終わりました。目的に合わせて「のり」を選ぶ——それがこれからの常識になっていくはずです。annualreviews.org
7. 研究を始めた学生へ:最初の「地図」の描き方
研究室で着手するなら、まず (1)前駆体の化学組成とガラス反応性の把握、(2)水酸化物・水ガラスの濃度設計(Na/Si、Na/Al)、(3)硬化体の主相と副相の定量(QXRD+熱分析+^29Si/^27Al NMR) の三点セットを回すのが近道です。熱力学モデル(たとえばCNASH_ssを含む実装)で相の当たりをつけ、実験でギャップを詰める。炭酸化や硫酸塩侵食など耐久課題は、相組成と細孔構造の変化を追えば、メカニズムに手が届きます。先行レビューと構造モデルの読み込みが、議論の“共通語”になります。Edinburgh ResearchPMC
8. これからの見どころ
- 構造モデルの高度化:C-(A)-S-HのRietveld/QXRDとNMR、分子シミュレーションの三位一体で、“層間—鎖—置換”の相関をさらに定量化する動き。Wiley Online Library
- 配合と耐久のブリッジ:相平衡の設計→微細構造→輸送特性→劣化速度、という連鎖モデルの実装。都市の実環境データを取り込み、炭酸化設計の実務化が進みます。Edinburgh Research
- 社会実装の二刀流:AAMとLC3を地域資源で使い分ける発想が主流に。規格・認証・LCAの整備が、研究課題の“出口”を広げます。PMCScienceDirect
9. まとめ
セメントの世界は“のり”の科学です。C-S-Hという祖型の理解が深まったことで、AAMの主相であるC-A-S-H/C-(N)-A-S-Hも分子レベルの設計対象になりました。低炭素化は、AAMという新しい主役と、LC3という賢い薄め方の共演で前に進んでいます。配合設計×相平衡×耐久を一本の線でつなぐ——その視点が、研究でも実装でも最短ルートです。PMC+1Edinburgh Research
参考文献
- Ian G. Richardson (2014), Model structures for C-(A)-S-H(I), Acta Crystallographica Section B 70(6):903–923. DOI: 10.1107/S2052520614021982. (C-S-H/C-A-S-Hのトバモライト由来構造モデルとNMR整合を総覧) PMC
- I. G. Richardson (2008), The calcium silicate hydrates, Cement and Concrete Research 38(2):137–158. DOI: 10.1016/j.cemconres.2007.11.005.(C-S-Hの構造・組成・表面特性の古典的総説) ResearchGate
- John L. Provis & Susan A. Bernal (2014), Geopolymers and Related Alkali-Activated Materials, Annual Review of Materials Research 44:299–327. DOI: 10.1146/annurev-matsci-070813-113515.(AAM/ジオポリマーの包括的レビュー) annualreviews.org
- John L. Provis, Angel Palomo, Caijun Shi (2015), Advances in Understanding Alkali-Activated Materials, Cement and Concrete Research 78:110–125. DOI: 10.1016/j.cemconres.2015.04.013.(AAMの材料設計・分析技術の進展) White Rose Research Online
- Rupert J. Myers et al. (2015), Thermodynamic modelling of alkali-activated slag cements, Applied Geochemistry 61:233–247. DOI: 10.1016/j.apgeochem.2015.06.006.(C-(N)-A-S-Hを含む熱力学モデルと相平衡設計) Edinburgh Research
- Karen Scrivener, Fernando Martirena, Shashank Bishnoi, Sourav Maity (2018), Calcined clay limestone cements (LC3), Cement and Concrete Research 114:49–56. DOI: 10.1016/j.cemconres.2017.08.017.(LC3の原理・性能・環境効果) PMC
—(必要に応じて深掘りしたい方向け)
- Bernal, S. A. & Provis, J. L. (2014), Durability of Alkali-Activated Materials: Progress and Perspectives, Journal of the American Ceramic Society 97(4):997–1008. DOI: 10.1111/jace.12831.(AAMの耐久に関する総説) ceramics.onlinelibrary.wiley.com
- Mesecke, K. et al. (2022), Structure modeling and quantitative X-ray diffraction of C-(A)-S-H, Journal of Applied Crystallography 55(1):148–164. DOI: 10.1107/S1600576721012668.(C-(A)-S-HモデルのQXRD実装の最新動向)