CSH年表①|セメントはなぜ固まるのか:CSH概念の萌芽(〜1900)

セメントが水と混ざると、どろっとしたペーストが時間とともに石のように硬くなります。だれもが一度は見たことのあるこの“当たり前”は、実は驚くほど精妙な化学と微細構造の積み重ねです。本稿は年表シリーズの第1回として、1900年ごろまでに芽生えた「セメントはなぜ固まるのか」という理解を、一般向け7:研究者向け3のバランスで紐解きます。キーワードは、のちにセメント硬化体の主役として確立する**CSH(カルシウムシリケート水和物)**です。


1. 「粉が水で固まる」——現象の目撃から物語が始まる

19世紀前半、英国の煉瓦職人ジョセフ・アスプディンが1824年に“ポルトランドセメント”の特許を得たことは、量産可能な水硬性結合材の出発点でした。粉と水を混ぜると石のように固まる——最初はこの現象そのものが産業的に重要でした。何が起きているのかまでは、まだ霧の中。原料(石灰と粘土)を焼いた粉が、水と反応して新しい固体を生むらしい、という輪郭だけが見えていました。後世の研究により、この“新しい固体”の中心にあるのがCSHであると整理されていきます。CSHがセメントペーストの強度と耐久の大半を担うという現在の常識は、20世紀の分析手段の進歩とともに固まりました。SCIRP+1


2. 19世紀の見え方:溶けて、しみだし、にじみ固まる

当時の観察はシンプルでした。水が粉の成分を少し溶かし、時間とともに別の場所へ“にじみ出て”固まる。いま風に言えば、溶解→移動→再沈殿(析出)という流れです。乾燥して固まるのではなく、化学反応で“新しい固体”が生成する。ここが一般に誤解されやすい要点です。実際の硬化体内部では、目に見えないほど細かい“骨格”がネットワークを作り、やがて空隙(孔)を橋渡しして剛性と強度を生む。この骨格の主成分がCSH。現代の総説は、CSHがカルシウムとケイ素と水からなるナノスケールのゲル状物質で、組成と密度が環境条件で揺らぐことを教えてくれます。SCIRPPubMed


3. 「ゲル」という手がかり:感覚の言葉から科学の言葉へ

19世紀末の技術者は、硬化体内部に糸くず状・膜状の“何か”を見いだして「ゲル」という生活語に近いラベルを貼りました。顕微鏡や化学分析の限界のなかで、これは十分機能する言葉でした。のちにCSH=多様な微視的相の集合だとわかってくると、この“ゲル”という直感は科学的な語彙へ置き換えられていきます。現代のレビューでは、CSHは単一の結晶ではなく、“ナノスケールの粒子(グロビュール)が集まった準安定な集合体”として振る舞うと整理されます。これはコロイド(ナノ粒子)のふるまいに近く、乾燥や湿潤での可逆・不可逆の体積変化(収縮)にも関係します。サイエンスダイレクト


4. 20世紀への橋渡し:量で語る、構造で語る

4-1. 「どれだけできるか」を量で結ぶ視点

20世紀半ば、水とセメントの比(w/c)と生成物・空隙の量をつなぐ古典的整理が登場し、CSH量・空隙量・強度の“地図”が描かれます。これはCSHを“量の言語”で語る最初の成功で、配合設計の背骨になりました。後年のレビューは、この系譜が物質収支と空隙構造を通じて今日まで生きていることを振り返ります。SCIRP

4-2. 「何でできているか」を構造で語る視点

21世紀に入り、小角散乱や分光・顕微鏡の融合で、CSHの平均組成・固体密度・粒子サイズが直接的に測られるようになります。たとえば小角中性子・X線散乱を組み合わせた研究は、CSHの代表組成固体密度を水の扱い方に左右されない方法で推定し、“乾燥の作法”が測定に与える影響を明快に示しました。また高エネルギー散乱は、ナノスケールの**“粒子−粒子の並び方”がバルク特性に効くことを示し、のちの“コロイドモデル”の妥当性を裏づけます。これらはCSH=“ナノ粒子の集まり”**という理解を決定づけ、19世紀の“ゲルの直感”に科学的な骨格を与えました。PubMedPhysical Review


5. CSHという名前が意味するもの

「CSH」という呼称は、石灰(Ca)と珪酸(Si)が水和してできる水和物という、最大公約数の表現です。結晶のように“一つの式で書ける相”というより、幅のある組成・構造をもつ“族”だと理解した方が現実的です。現代のレビューは、トバモライトやジェンナイトといった鉱物を参照構造として位置づけつつも、実際のCSHが非晶質〜弱い秩序をもつ広がりのある相だと説明します。したがって、C/S比(Ca/Si)や水分状態が少し変わるだけで、剛性・収縮・透過性のふるまいも変わり得る。こうした“幅のある実在”としてCSHを受けとめる姿勢は、配合・養生・耐久設計のすべてに関わります。SCIRPサイエンスダイレクト


6. 一般読者のための直観:パン作りに似た、でも全然ちがう

パンは生地の“乾き”によって固くなるのではなく、加熱でタンパク質とデンプンが組み替わることで形を保ちます。セメントはパンよりもさらに化学的で、水が“試薬”として働き、粉の一部を溶かし、別の場所で“新しい固体(CSH)”を育てる点が決定的にちがいます。だから水が少なすぎても多すぎてもダメ。少なすぎれば反応が進みにくく、多すぎれば空隙が多くスカスカになる。19世紀の発明家は配合を経験則で探りましたが、のちの科学は**“どのくらいのCSHが、どんな空隙構造をつくるか”を量と構造で描き出し、“混ぜる水の一滴”の重み**を数式に落としていきました。SCIRP


7. 研究を始めたばかりの学生向け:最低限の“座標軸”

  • 量の軸:反応が進むほどCSH量↑、毛細管孔↓。ただしゲル孔は別物。
  • 構造の軸:CSHはナノ粒子の集合。粒の大きさ・並び方・水の居場所が物性を左右。
  • 化学の軸C/S比や共存イオン(Na、K、Al)が構造と物性を微調整。

この三つの軸を意識すると、古典から最新までの論文が同じ地図の上で読めるようになります。具体的な数値や測定法は次回以降で段階的に解説します。PubMedサイエンスダイレクト


8. まとめ——“萌芽”の本質は、CSHという視点の獲得

1900年前後の人びとは、「水で固まる粉」という現象をゲルという言葉で手探りに掴みました。20世紀の分析とモデル化はその正体がCSH=ナノ粒子の集合体であることを示し、**量(どれだけCSHができるか)構造(どんな骨格を作るか)**の二本柱で“固まる理由”を説明できるようにしました。CSHを見る——この視点こそが、以後の100年にわたるセメント科学の背骨になります。

次回予告(#2):「初期の水和観察史:顕微鏡が捉えた“ゲル”の正体(〜1900)」
顕微鏡写真や当時の記述をたどり、観察技術が理解をどう押し上げたかを解説します。


参考文献

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