セメントの固体NMRは、C-S-H(calcium silicate hydrate:ケイ酸カルシウム水和物)を「なんとなく非晶質なゲル」ではなく、SiO₄四面体がどのようにつながっているかという局所構造で読むための強力な測定法です。特に 29Si MAS NMR は、C-S-H中のQ種(Q⁰/Q¹/Q²など)を読み分けることで、シリケート鎖の重合度や平均鎖長を推定する入口になります。
この記事では、「セメント 固体NMR」「29Si MAS NMR C-S-H」「セメント NMR 入門」で調べる人に向けて、論文を読む前に押さえたい考え方を整理します。
固体NMRはセメントの局所構造を理解する有力な手段ですが、万能な“答え合わせ装置”ではなく、XRD、熱分析、化学分析、総散乱、顕微鏡観察などと組み合わせて解釈する必要があります。
NMRで見ているもの
NMR(核磁気共鳴)は、原子核が置かれている局所的な化学環境を見ています。セメント材料で重要なのは、長距離秩序を前提にした結晶構造だけではありません。C-S-Hのように乱れた相では、粉末XRDで明瞭なピークが出にくくても、SiやAlの近傍環境は材料の反応履歴や構造を反映します。固体NMRは、こうした結晶性の低い相にも使える点が強みです。
セメント化学でよく使われる核は、主に 29Si と 27Al です。29SiはSiO₄四面体のつながり方、つまりシリケート鎖の重合状態を読むのに使います。27Alは、Alが4配位・5配位・6配位のどこにいるのか、C-A-S-H中に入っているのか、AFm/AFt系の水和物にいるのかを考える手がかりになります。
ここで重要なのが MAS(magic angle spinning:マジック角回転) です。固体試料では、液体のように分子が自由に動かないため、スペクトルが広がりやすくなります。MASでは試料を特定角度で高速回転させ、固体特有の異方的な相互作用を平均化して、ピークを読みやすくします。つまり「29Si MAS NMR」とは、固体のSi環境をなるべく分解能よく読むための基本手法だと考えるとよいです。
Q種と鎖長の読み方

29Si MAS NMRでC-S-Hを読むときの中心語が Q種 です。Qⁿの「n」は、あるSiO₄四面体が、酸素を介して隣のSiまたはAl四面体と何個つながっているかを表します。セメントの未水和クリンカー相では孤立したSiO₄に対応するQ⁰が重要で、水和が進んでC-S-HができるとQ¹やQ²が増えます。C-S-HやC-A-S-Hでは、Q¹、Q²、Q²(1Al)などのピークが、シリケート鎖やAl置換を読む入口になります。
Q種のイメージ図(SiO4四面体のつながり)
Q0:孤立した四面体
[Si]
例:未水和のC3S・C2Sに多い
Q1:鎖の末端
[Si]—[Si]
↑
このSiから見ると、隣の四面体は1つ
Q2:鎖の内部
[Si]—[Si]—[Si]
↑
このSiから見ると、両側に2つの四面体
Q2(1Al):隣接四面体の一部がAl
[Si]—[Si]—[Al]
↑
このSiは「Siに加えてAlが近くにいる」環境として読む
Q3:分岐・架橋をもつ構造
[Si]
|
[Si]—[Si]—[Si]
Q4:三次元ネットワーク状
[Si]
|
[Si]—[Si]—[Si]
|
[Si]
C-S-H研究でまず見るべきなのは、Q¹とQ²の比率です。Q¹は鎖端、Q²は鎖中のSiに対応します。短い鎖では末端の割合が大きいためQ¹が目立ち、鎖が伸びると内部サイトであるQ²の割合が増えます。したがって、Q²/Q¹が大きくなるほど、平均的にはシリケート鎖が長くなったと解釈します。
非Al系のC-S-Hでは、単純化すると次のような見方をします。
平均鎖長 MCL ≈ 2 × { I(Q1) + I(Q2) } / I(Q1)
ここで I(Q¹), I(Q²) は、スペクトル分離(デコンボリューション)によって求めた各ピークの面積です。実際の論文では、Q²をさらにQ²(p)(paired tetrahedra)やQ²(b)(bridging tetrahedra)に分けたり、Alを含む場合にはQ²(1Al)を含めた式を使ったりします。つまり、MCLは「ピーク面積から機械的に出る絶対値」ではなく、どの構造モデルを仮定してピークを分けたかとセットで読む必要があります。
C-S-Hの古典的な29Si MAS NMR研究として重要なのが、Cong & Kirkpatrick(1996)です。この研究では、既知組成の単相C-S-Hを対象に、29Si MAS NMR、XRD、化学分析を組み合わせ、C/S比の異なるC-S-Hが連続的な構造系列をつくること、欠陥を含むトバモライト型モデルで説明できることを示しました。より詳しい流れは、本サイト内のCong & Kirkpatrickの29Si MAS NMR論文解説で整理されています。
27Alをどう使うか

C-S-HにAlが入ると、C-A-S-H(calcium aluminosilicate hydrate)として扱う必要が出てきます。このとき、29Si MAS NMRだけを見ると、Q²(1Al)のように「Siの近くにAlがいるらしい」ことは分かりますが、Alそのものがどの配位状態にいるのかは直接分かりません。そこで 27Al MAS NMR が重要になります。
27Al NMRでは、Alが4配位(AlIV)、5配位(AlV)、6配位(AlVI)のどこにいるかを区別する手がかりが得られます。C-A-S-Hでは、Alがシリケート鎖の橋かけ位置に入りやすいこと、またアルカリやCaなどによる電荷補償を考える必要があることが、29Si/27Al MAS NMRの組み合わせから議論されています。高磁場の27Al MAS NMRは、C-A-S-H中のAlの役割を詳しく調べるうえで有用です。
ただし、27Alは29Siより解釈が厄介です。27Alは四極子核であり、ピークの広がりや重なりが大きくなりやすいからです。たとえば、AFt相(エトリンガイト)、AFm相、第三アルミネート水和物、C-A-S-H中のAlが近い化学シフト領域に現れる場合、単純なピーク位置だけで断定すると危険です。必要に応じて、高磁場測定、MQMAS、1H–27Al CP/MAS、XRD、熱分析などを組み合わせて、Alがどの相に属するのかを絞り込みます。
29Siと27Alを組み合わせると、次のような読み方ができます。
| 見たいこと | 主に使う核 | 代表的な観察点 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 未水和クリンカーが残っているか | 29Si | Q⁰の残存 | C₃S/C₂Sのピーク重なりに注意 |
| C-S-Hの鎖が伸びたか | 29Si | Q²/Q¹、MCL | デコンボリューション条件に依存 |
| AlがC-A-S-Hに入ったか | 29Si + 27Al | Q²(1Al)、AlIV | AFm/AFt由来Alとの区別が必要 |
| 架橋・高重合化が進んだか | 29Si | Q³、Q³(1Al) | アルカリ活性材料やスラグ系で特に重要 |
| 水やOHとの近接性 | 1H–29Si CP/MASなど | Si–OH、水との近接 | CPは定量性に注意 |
測定条件と解釈の罠
固体NMRは便利ですが、ピークが見えた瞬間に構造が一意に決まるわけではありません。特にセメント材料では、相が多く、非晶質成分が多く、反応も時間とともに進むため、解釈の自由度が大きくなります。ここでは、初学者がつまずきやすいポイントをまとめます。
まず、ピーク分離はモデル依存です。C-S-Hの29Siスペクトルでは、Q¹、Q²、Q²(1Al)、場合によってはQ³が重なります。デコンボリューションでピークを分けるとき、ピーク位置、半値幅、線形、拘束条件をどう置くかによって面積比が変わります。そのため、MCLの数字だけを比較するのではなく、「どのピークを仮定したか」「既往研究と同じ分け方か」を確認する必要があります。
次に、緩和時間と繰り返し時間の問題があります。定量を目的にする場合、すべてのSiサイトが十分に緩和してから次のパルスを打つ必要があります。繰り返し時間が短すぎると、あるサイトの信号だけが過小評価され、Q¹/Q²比やMCLがずれる可能性があります。論文を読むときは、測定周波数、MAS回転数、パルス幅、recycle delay、積算回数を確認しましょう。
さらに、CP/MASは見やすいが、そのまま定量に使いにくいという点も大事です。CP/MASでは、1Hなど感度の高い核から29Siや27Alへ磁化を移して感度を上げます。水やOHに近いSiを強調できるため、局所構造の手がかりとして有用ですが、近接する1Hの量や運動性に信号強度が左右されます。通常のMASスペクトルとCP/MASスペクトルを比較することで、どのSiが水やOHに近いかを考える、という使い方が安全です。
また、乾燥・前処理の影響も無視できません。C-S-Hは水を多く含む相であり、乾燥条件によって層間水、表面水、Si–OH、Ca–OHの状態が変わる可能性があります。水和停止のために溶媒置換や乾燥を行う場合、その処理がC-S-H構造に影響していないかを考える必要があります。NMRの結果は「試料そのもの」ではなく、「その前処理を受けた試料の局所構造」を見ている、という距離感が重要です。
最後に、NMRだけで相量・構造・物性をすべて決めようとしないことです。29Si MAS NMRはSi環境に強く、27Al MAS NMRはAl環境に強い一方で、Caの配置、ナノ粒子のサイズ、空隙構造、長距離秩序、力学特性を直接すべて説明するわけではありません。C-S-Hの構造像を立体的に理解するには、総散乱PDF、SAXS/SANS、熱分析、XRD、SEM/TEM、力学試験、熱力学モデリングと合わせて読むのが基本です。NMRは「局所構造のものさし」であって、「万能の顕微鏡」ではありません。
代表論文への接続
セメントNMR入門として最初に読むなら、まずはCong & Kirkpatrick(1996)の29Si MAS NMR研究を押さえるのがよいです。ここで、C-S-HをQ種と鎖長で読む考え方が見えてきます。C/S比が変わると、C-S-Hの組成だけでなくシリケート鎖の重合状態も変わる。この視点が、その後のC-S-H構造モデルや熱力学モデルを読む土台になります。
次に、C-S-Hを原子モデルとして見たい場合は、PellenqらのCSH-FFに進むと理解がつながります。NMRで得られるQ種や鎖長は、原子モデルの中では「どこに欠陥があるのか」「シリケート鎖がどれだけ切れているのか」という問題に対応します。本サイト内では、CSH-FFによるC-S-H原子モデルの考え方が詳しく解説されています。
さらに、NMRが局所のSi環境を読むのに対して、総散乱PDFは原子間距離の分布からC-S-Hの短距離秩序を見ます。NMRで「Q²が増えた」と読むことと、PDFで「トバモライト様の局所秩序がどこまで続くか」を読むことは、別の角度から同じC-S-H像に近づく作業です。C-S-Hのナノ結晶性を理解したい場合は、総散乱PDFで読むC-S-Hのナノ結晶性も合わせて読むと、NMRの限界と使いどころが見えやすくなります。
C-A-S-Hまで進む場合は、Pardalらの27Al/29Si NMR研究や、Andersen、Skibsted、Richardsonらの高磁場NMR研究が重要になります。ここでは、Q²(1Al)の帰属、AlIVの位置、Alがシリケート鎖のどこに入るのか、アルカリが電荷補償にどう関わるのかが論点になります。混合セメント、スラグ、フライアッシュ、LC3、アルカリ活性材料を読むなら、C-S-HではなくC-A-S-Hとして捉える視点が必要です。
まとめ:Q種はC-S-H論文を読むための共通語
セメント固体NMRの入口は、29Si MAS NMRでQ種を読むことです。Q⁰は未水和シリケート相、Q¹は鎖端、Q²は鎖中、Q²(1Al)はAlを近傍にもつC-A-S-H的な環境として考えると、C-S-H論文のスペクトルがかなり読みやすくなります。Q²/Q¹比やMCLは、C-S-Hのシリケート鎖が短いのか長いのかを考える便利な指標です。
ただし、NMRは万能ではありません。ピーク分離、緩和時間、CPの有無、前処理、Al含有相の重なりによって、解釈は変わります。だからこそ、29Si MAS NMRで鎖長を読み、27Al MAS NMRでAlの居場所を考え、総散乱や原子モデルで構造像を補強する、という複数手法の組み合わせが大切です。
C-S-H研究の論文を読むときは、まずスペクトル中のQ¹、Q²、Q²(1Al)を探してください。そこから「鎖は伸びたのか」「Alは入ったのか」「C/S比や混和材の影響はどこに出ているのか」を順番に考えると、セメントNMRの議論はぐっと読みやすくなります。

