セメントSEM観察で「ぐちゃぐちゃ」に見える最大の原因は、倍率不足よりも試料調整ミスです。この記事では、Dドライと凍結乾燥の使い分け、金蒸着とカーボン蒸着の選び方、C-S-H・CH・エトリンガイトの形態識別、EDXマッピングの基本まで、学生でも失敗しにくいように解説します。
SEMでセメント硬化体を見ても、期待したような「針状のエトリンガイト」や「板状のCH」が見えず、ただ崩れた破片のように見えることがあります。これは観察者のセンスの問題ではなく、何を見たいかを決める前に試料を乾かし、切り、蒸着してしまうことが主因です。水和物の全体像から先に整理したい方は セメント基礎・化学入門 を、SEMとXRDの役割分担を先に押さえたい方は XRDとSEMで解明するセメント硬化体の微細構造 を合わせて読むと理解が速くなります。
まず結論:学生が最初に外しにくい組み合わせ
エトリンガイトやC-S-Hの形を見たいだけなら、最初の一手は 破断面 + SE像 + 低温寄りの乾燥 + 必要最小限の薄い蒸着 です。逆に、相の面積率や相分布をきれいに比較したいなら 研磨面 + BSE像 + 樹脂含浸 が向いています。破断面は形態観察に向きますが、後期材齢では代表性が落ちやすく、BSEやX線像では平坦な研磨面のほうが解釈しやすい、というのが基本です。
私なら、「エトリンガイトをまず見つけたい試料」なら、のこぎり面をそのまま見ず、小片を割って新しい破断面を作り、加熱しすぎない乾燥をかけ、EDXを使う予定があるならカーボン蒸着にします。
これだけで「全部ぐちゃぐちゃ」に見える失敗はかなり減ります。
なぜセメントSEM観察は「ぐちゃぐちゃ」になりやすいのか
理由はだいたい3つです。1つ目は、乾燥中に水和物の形が変わること。2つ目は、切断・研磨の目的と観察モードが噛み合っていないこと。3つ目は、蒸着材がEDXの邪魔をしていることです。特にセメント硬化体は、水を抜くだけでC-S-HやAFt系の見え方が変わりやすく、しかも脆いので、試料作製の段階で観察したい相を壊してしまいがちです。
SEMの観察対象を決めるときは、最初に次の1問だけ答えておくと迷いません。
「自分は“形”を見たいのか、“分布”を見たいのか」。
形なら破断面、分布なら研磨面です。ここを曖昧にしたまま試料調整を始めると、観察像も解釈もぶれます。
破断面観察と研磨面観察は、目的が違う
破断面のSEMは、C-S-Hの絡み方、エトリンガイトの針、CHの板など、水和物の立体的な形態をつかむのに向いています。Nature のレビューでも、特定の水和物の形態研究には、破断試料をSEモードで観察するのが適切だと整理されています。実際、近年のセメントペースト研究でも、破断面にSEM/EDSを当てて形態と組成を見ています。
一方で、BSE像やEDXマッピングで相分布や相量感を比較したいなら、平坦な研磨面のほうが明らかに有利です。BSE像とX線像は表面状態の影響を強く受けるからです。つまり、「初めての形態観察」は破断面、「比較・分布・定量寄り」は研磨面と覚えるといいでしょう。
試料の乾燥方法:Dドライ vs 凍結乾燥
Dドライが向く場面
Dドライは、古典的ですが今も実務上かなり使いやすい方法です。D-drying は ドライアイス・アルコール(約 -79 ℃)を浸した減圧乾燥であり、古い検討では 2〜3時間のD-dryingが比較的ダメージの少ない処理として推奨されています。
エトリンガイトを狙うなら、Dドライは「完璧に無傷」とは言えないものの、高温乾燥よりずっと安全で、しかも凍結乾燥より装置依存が少なく、初心者でも再現しやすいのが利点です。試料を薄い小片にして、割った直後に処理へ入れるだけでも見やすくなるはずです。
凍結乾燥が向く場面
凍結乾燥は、時間を切って水和停止したい試料や、薄片・スラリー系の試料で使いやすい方法です。近年の研究では、液体窒素で凍結したあと、約 -45 ± 5 ℃、約 4.6 mmHg 程度の条件で凍結乾燥する手順が報告されています。また、2022年の検討では、凍結乾燥は条件次第で水和停止処理として使えるとされています。
ただし、ここは誤解しやすいところですが、凍結乾燥=常にいちばんやさしいとは限りません。Mantellato らは、一般的な凍結乾燥や溶媒置換のプロトコルが AFt の水除去や結晶性低下を招き、凍結乾燥ではその影響がより大きいことを示しています。つまり、エトリンガイトを“壊さず見る”目的では、凍結乾燥を万能視しないほうが安全です。
エトリンガイトを壊したくないなら避けたい温度
ここが一番大事です。文献では、エトリンガイトは 60 ℃超で構造や形態が変わりやすいことが広く知られており、別の報告では大気圧・通常湿度でも 50〜53 ℃付近から脱水が始まりうる とされています。実際、エトリンガイト試料を室温デシケータで乾燥して脱水を避けたという報告もあります。
なので、「エトリンガイトを熱で壊さないための乾燥温度」は、少なくとも 60 ℃以上を避けること、実務的には室温〜40 ℃程度までに抑えることです。とくに 105 ℃オーブン乾燥は、セメントの水和停止としては雑すぎて、微細構造観察には向きません。高温乾燥が微細構造を傷めるという比較報告もあります。
蒸着の選択:金 vs カーボン
SEM像だけをきれいに取りたいなら、金系の金属蒸着は強い選択肢です。JEOL と UCL の説明でも、金属コートは二次電子収率が高く、高分解能の像質やS/N改善に有利です。帯電が強い試料では、まず像を安定させる意味で金属蒸着が効きます。
ただし、EDXをやるなら基本はカーボン蒸着です。JEOLはカーボン蒸着を EDS analysis に理想的と説明しており、UCLも gold coating はX線を一部遮り、特に低エネルギーX線を歪めるので、元素比は カーボン蒸着 のほうが信頼しやすいとしています。セメント硬化体では Si、Al、S、Ca の見分けが重要なので、「像だけなら金」「EDXするならカーボン」でほぼ迷いません。
学生がやりがちな失敗は、金蒸着したあとにEDXで細かい相同定までやろうとすることです。広い意味での元素の有無は見えても、相判定や元素比の信頼性は落ちます。エトリンガイト、CH、C-S-H をEDXで切り分けたいなら、最初からカーボンを選んだほうが早いです。
代表的な水和物の形態:まずはこの3つだけ見分ける
水和物の化学背景から復習したい方は、ケイ酸カルシウム水和物(CSH)の化学的性質と実環境での変化 と 水酸化カルシウム(CH)の役割と反応性 を先に読んでおくと、SEM像と材料特性がつながりやすくなります。
エトリンガイト(AFt)
エトリンガイトは、SEMでは 針状(acicular)または六角柱状 に見えるのが基本です。
ただし、見つからないからといって「存在しない」とは言えません。細く、周辺相の影響を受けやすく、乾燥条件でも見え方が変わるからです。“針があるか”だけでなく、Ca・Al・S が同じ場所で立つかをEDXで確認してはじめて、エトリンガイトらしさが高まります。
水酸化カルシウム(CH, Portlandite)
CH は 六角板状 が典型です。近年のセメントペースト研究でも CH は 1〜20 µm 程度の比較的明瞭な平坦面を持つ板状結晶として整理されています。
SEM像で見つけやすい相のひとつですが、周囲のC-S-Hがかぶると板が崩れて見えることがあります。そんなときは、CH候補の面にポイントEDXを打って、Caが強く、Si・Al・Sが弱いかを見ると判定しやすくなります。CHの役割や他手法での追い方は 水酸化カルシウム(CH)の役割と反応性 や TG-DTAで水酸化カルシウム量を算出する!セメント硬化体の定量計算手順 を参照ください。
C-S-H
C-S-H は、初心者がいちばん迷う相です。理由は簡単で、「きれいな結晶」に見えないからです。C-S-H は SEM では 繊維状、フィブリル状、薄片状 など、条件によって見え方が大きく変わります。
学生向けに乱暴に言い切るなら、CHは“板”、エトリンガイトは“針”、C-S-Hは“もやっとした薄片・絡み・ハニカム状の相”です。C-S-Hだけを独立した結晶として探そうとすると見失います。空隙を埋める相として広がっているかを見ると、かなり当たりやすくなります。
EDXによる元素マッピングの基礎
EDS/EDX は、SEM像に元素情報を重ねる手法を指します。EDSは 元素の定性、半定量、元素マッピング ができ、元素分布は ビームを二次元走査しながら、各ピクセルの特性X線を集めて元素分布を表示できます。
セメント硬化体で最初に見るべき元素は、Ca、Si、Al、S の4つです。Caマップは CH や Ca-rich C-S-H、Siマップは C-S-H、Al/S マップは AFt・AFm の把握に有効です。つまり、学生の実務では次の読み方で十分です。
- Ca が強く、Si・Al・S が弱い → CH候補
- Ca と Si が広く共存 → C-S-H候補
- Ca・Al・S が同じ細い針や束で重なる → エトリンガイト候補
ただし、EDS は万能ではありません。JEOL は、EDS のエネルギー分解能はWDSより低く、近いピークの分離や微量元素には限界があると説明しています。だから、マッピングは「候補を絞る」ために使い、最後は形態 + ポイントEDX + 周辺像で詰めるのが安全です。
初めてのSEMで失敗しない実務フロー
1. 低倍率から始める
いきなり高倍率に行くと、視野の中に何があるのか分からなくなります。そのため、低倍率 → 中倍率 → 高倍率 の段階観察が有効です。
2. 「針」を探す前に「全体」を探す
エトリンガイトだけを探しにいくと、見つからなかった時点で迷子になります。先に CHの板 と C-S-Hの全体 を見つけて、そこから針状相を探すほうが速いです。見えた像を SEMで見るセメントの微細構造 の典型像と見比べるのも有効です。
3. 相同定はSEM単独で決め打ちしない
SEMは「形」を見るのに強いですが、相の裏取りは他手法と組み合わせたほうが堅いです。相の全体像は XRDとSEMで解明するセメント硬化体の微細構造 が入り口になりますし、CH量の変化を押さえるなら 熱分析によるセメント水和度の評価 や TG-DTAで水酸化カルシウム量を算出する!セメント硬化体の定量計算手順 がつながります。XRD側の読み方は セメントXRD解析入門:エーライト・ビーライトのピークの読み方と同定のコツ が参考になるでしょう。
よくある質問
エトリンガイトを壊さない乾燥温度は何℃ですか?
60 ℃以上は避けたほうが安全です。文献では 60 ℃超でエトリンガイトの構造・形態変化が知られており、通常湿度でも 50〜53 ℃付近から脱水が始まりうる報告があります。実務上は、室温〜40 ℃程度までに抑えるつもりで試料調整するのが無難です。
EDXするなら金蒸着でも大丈夫ですか?
おすすめしません。 画像だけなら金蒸着は有利ですが、EDXでは低エネルギーX線の吸収やスペクトル歪みが起きやすく、元素比の信頼性が下がります。EDX前提ならカーボン蒸着が基本です。
C-S-HとCHは、形だけで見分けられますか?
ある程度はできますが、最後はEDXで確認したほうが安全です。CHは六角板状、C-S-Hは繊維状・薄片状の相として見えることが多い一方、乾燥や倍率で印象が変わります。Caのみ強いならCH、CaとSiが広く共存するならC-S-Hの可能性が高いです。
まとめ
セメントのSEM観察で失敗しないコツは、装置設定より先に試料調整を観察目的に合わせることです。
エトリンガイトを見たいなら、高温乾燥を避ける。
EDXを使うなら、金ではなくカーボン蒸着を選ぶ。
C-S-H、CH、エトリンガイトを見分けたいなら、形だけで決めず、Ca・Si・Al・Sの分布を重ねる。
この3つを守るだけで、SEM像はかなり“読める像”になります。最初の一回で完璧に相同定しようとせず、破断面の形態観察 → ポイントEDX → 必要ならXRD/TG-DTAで裏取りの順に進めるのが、学生にとっていちばん再現性の高い進め方です。
参考文献
- Scrivener, K. L., Snellings, R., & Lothenbach, B. “A Practical Guide to Microstructural Analysis of Cementitious Materials.” CRC Press.
- Diamond, S. “Specimen Preparation for Scanning Electron Microscopy.” National Institute of Standards and Technology (NIST).
- Mantellato, S., Palacios, M., & Flatt, R. J. “Reliable methods to determine the material efficiency of superplasticizers in cement pastes.” Cement and Concrete Research.
- Zhang, ほか. “Effects of drying methods on microstructure of cement-based materials observed by SEM.” Construction and Building Materials.
- Journal of Materials and Structures 論文 “Hydration stopping methods for cementitious materials: comparison of solvent exchange, freeze-drying, and other techniques.”
- JEOL. “Sample Preparation Techniques: Conductive Coatings for SEM and EDS.”
- JEOL. “A Quick Guide to EDS Elemental Analysis.”
- Nature Reviews Materials / npj Materials 系レビュー “Electron microscopy methods for hydrated cement microstructure characterization.”
- Taylor, H. F. W. “Cement Chemistry.” Thomas Telford.
- Gartner, E., & Sui, T. “Alternative cement clinkers.” Cement and Concrete Research.


