第5章 鑑定評価の基本的事項――“評価の三定点”を実務でブレさせない

第4章で手に入れた「諸原則」というハンドルを、いよいよ評価の“設計図”に落とし込みます。本章の肝は、対象不動産・価格時点・価格(賃料)の種類という三つの定点を、依頼目的と整合させて明確に言語化すること。ここが曖昧だと、後段の手法選択や資料採否、試算価格の調整まで全部がぐらつきます。逆に、三定点がシャープなら、評価はぐっと “迷いにくい” ものになります。


1. 対象不動産――「どこからどこまで」を最初に決め切る

鑑定評価は、まず対象不動産の同定から始まります。土地なら地番・地積・地目、建物なら所在・種類・構造・規模といった公法・私法の識別情報をそろえ、地積測量図や登記記録、都市計画図等で“実体”と“記録”が齟齬していないかを照合します。

  • 利用単位の画定:評価は“法的境界”ではなく利用実態の単位で切り出すことが多く、複数筆の土地や複数棟の建物を一体として利用しているなら、一体評価を検討します。逆に、1棟の建物が階・区画で用途も収益構造も異なる場合は、部分単位での検討が必要になることもある。
  • 権利の種類:所有権なのか、借地権・地上権などの用益権なのか、区分所有建物の敷地利用権を含む束なのか。賃貸用不動産なら賃貸借契約に基づく運用実態(賃料水準、修繕負担区分、敷金・保証金の扱い)までが価値の内側に入ります。
  • 前提・想定条件:未登記建物の評価、越境や私道負担、未接道など法適合に疑義がある場合は、評価に支障しない範囲で想定(仮定)条件を置くことがあります。ここは必ず明示し、価格の利用者が誤解しないよう“効き方”を説明するのがプロの作法です。

小ワンポイント:対象を地役権設定前の状態で見るのか/設定後で見るのか開発許認可取得前か/取得後かなど、どの「相」を切り取るかの言い回しをレポートの早い段で固定しましょう。後で揉めません。


2. 価格時点――価格は“時間の一点”でしかない

価格は特定の時点における市場参加者の判断の集約です。したがって、鑑定評価では価格時点を厳密に定め、必要に応じて過去時点(相続開始時、訴訟の基準時)や将来時点(事業採算のDCFで一定の期首・期末)を採ることがあります。

  • 現在時点評価:最も一般的。直近の市場事例や賃貸事例で“地合い”を捉え、時点修正の感度を持たせます。
  • 過去時点評価:事故・瑕疵発覚前など特殊要因の影響を除く目的で設定されることも。変動の原則を踏まえ、各時点の市場要因・金利・物価・建築コスト等を資料で裏づけます。
  • 将来時点評価:開発事業やREITのPOなど、将来のキャッシュフローを価値に写す必要がある局面。前提の妥当性(許認可、工期、テナント付け、出口利回り)をシナリオ別に説明しておくと、説得力が格段に上がります。

ここでの落とし穴は、“価格時点の一本化”を忘れること。レポート内で統計や賃料事例の時点が混在すると、読者は“時空間のひずみ”に気づいてしまいます。比較・補正の全工程を価格時点に整列させる意識を徹底しましょう。


3. 価格の種類――「正常/限定/特定」を使い分ける

鑑定評価で扱う“価格”は、目的に応じて性格が異なる概念です。代表的な三類型を、現場の言葉で押さえます。

  • 正常価格(市場価値)合理的な市場における自由な取引を前提とした価格。特定の利害や時間的圧迫がなく、良識ある当事者同士が合目的的な判断のもとに成立する値。一般の売買・担保評価の標準形です。
  • 限定価格特定の制約条件(処分の急、権利・用途の制限、流動性制約など)を前提に、当該条件下での値を求めるもの。例:短期間処分、競売、事業用定借で残存期間が極端に短い場合など。
  • 特定価格当事者の特殊事情(相互の資本関係、グループ内再編、事業継承、公共目的の代替取得等)を反映させた合目的価格。第三者一般の市場価値とは概念的に異なります。

重要なのは、何を“正常”とみるかの置き方。地域の市場慣行、取引成立までの想定マーケットタイム、販売経費の扱い、価格時点における情報の非対称性の程度――これらを言語化しておくと、後段の乖離説明に効きます。


4. 賃料の種類――「新規」と「継続」は似て非なるもの

不動産が生む価値は賃料として観測されることが多く、賃料にも種類があります。典型的には次の二つ。

  • 新規賃料新たに締結される賃貸借において、合理的当事者が合意すると想定される賃料。市場の競争水準を直截に映すため、比較事例の**同質化(面積、仕様、契約条件)**が勝負。
  • 継続賃料既存契約の継続を前提に、当事者間の合理的合意水準を求める賃料。既存契約の特約・原状(賃料改定条項、更新間隔、敷金・保証金の運用、修繕負担区分)を踏まえ、差額配分法・賃貸事例比較法・収益分析法相補的に使い分けます。

“新規”のつもりで“継続”の手触り(原状・履歴)を無視すると、評価が市場から浮きます。逆に、継続賃料で市場を無視しすぎると、競争の原則に反して説得力が落ちる。市場→契約→収益の三層を往復しましょう。


5. 依頼目的・価格等の条件――“評価の使い道”を先に決める

銀行担保、M&A・組織再編、会計認識、相続・訴訟、公共調達――依頼目的が違えば、求める価格・賃料の種類、必要な前提・想定条件、説明の焦点は変わります。

  • 金融・会計目的:市場価値(正常価格)ベースが基本。公正価値との整合、CFの妥当性、減損テストとの接続を明示。
  • M&A・グループ内再編特定価格/限定価格の要素が混ざりやすい。シナジー統合コストの扱いを“価格内か外か”で明確化。
  • 訴訟・権利調整過去時点限定条件が付きやすい。立証責任を意識した資料開示性再現性が鍵。
  • 公共事業・用地補償:制度固有のルール(補償基準)との適合を図り、社会的受容性に配慮。

依頼人とすり合わせるべきは、「何の意思決定に使うか」「その意思決定に不要な要素は何か」。不要なものは価格の外に置く勇気も、プロの力量です。


6. ケースで学ぶ:古家付き角地の**“市場価値”“限定価格”**

設定:住宅地の角地、間口広め。木造の古家が残っており、セットバックと越境解消が必要。依頼目的は①一般売却に使う市場価値(正常価格)の把握、②3か月以内の短期処分を想定した限定価格の把握。

  • 対象の画定:越境物の扱いは現況有姿とし、是正コストは買主負担を基本想定。ただし、越境解消の合意が整いつつあるため、想定条件として“合意成立・是正工事完了”ケースも併置。
  • 価格時点:両方とも同一の現在時点に統一。
  • 価格の種類:①は正常価格ゆえ、平均的なマーケットタイム一般的販売経費を前提。②は短期処分のため、販売経費の増高、値引き交渉の強さ、広告露出の不足等を反映してディスカウント幅を別建てで積み上げる。
  • 結果の説明:①と②の差異は条件差に起因――つまり物件固有の欠陥ではない――ことを明確に言語化する。将来の紛争予防にも効きます。

7. よくある“つまずき”と回避術

  • 対象の“はみ出し”:敷地外工作物や私道持分、法定外公共物の含み方が曖昧。→ 平面図・地役権図面・道路台帳で整合を取り、レポートの冒頭で含む/含まないを句点で言い切る。
  • 価格時点の“混線”:統計・賃料・取引事例の時点がバラバラ。→ 時点を横串で通し、必要なら時点修正の係数表を別紙に。
  • 種類の“取り違え”:社内説明で“市場価値”と言いながら実はグループ内移転の特定価格を求めていた。→ 依頼目的と価格の種類を表にして最初に合意。
  • 想定条件の“黙示”:誰にも書いていない“暗黙の前提”で計算してしまう。→ 前提は全て明示し、価格への効き方を1行で添える。

8. まとめ――“三定点”で評価をまっすぐに

  • 対象不動産:法的・物理的実体を利用単位で画定し、権利関係と想定条件を先に言い切る
  • 価格時点:価格は“時間の一点”。過去・将来を採るなら、前提と根拠の可視化を怠らない。
  • 価格(賃料)の種類正常/限定/特定新規/継続使い分けを依頼目的と接続。

次回は**第6章「鑑定評価の手法」**へ。取引事例比較法・原価法・収益還元法を“教科書”から“運転マニュアル”に変換し、どの手法をどの条件で強く採るか――説得力の差をつくる勘所を実例ベースで解説します。

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