1. はじめに
コンクリート打設現場で見慣れた光景があります。練り混ぜたばかりのコンクリートは流動性がありますが、時間が経つにつれて徐々に硬化し、やがて建築物を支える強固な材料へと変貌します。この驚くべき変化の背後で中心的な役割を果たしているのが、CSH(ケイ酸カルシウム水和物、Calcium Silicate Hydrate)ゲルという物質です。
CSHゲルはセメントペースト中で主要な水和生成物として大きな割合を占める一方、その複雑な構造から「セメント化学最大の謎」とも称されます [1][2][7]。なぜCSHゲルがこれほど重要なのでしょうか。それは、コンクリートの圧縮強度、耐久性、そして長期的な性能の多くが、このナノ〜マイクロスケールの水和生成物の性質に大きく依存するためです [6][7]。
本記事では、CSHゲルがどのように生成され、どのような仕組みでセメントに強度をもたらすのかを、建設現場での設計・施工上の論点に接続しながら解説します。
2. CSHゲルの基礎知識
2.1 CSHゲルとは何か
セメントに水を加えて練り混ぜると、セメント中の主要鉱物であるエーライト(C₃S)やビーライト(C₂S)が水と反応します。この反応によって生まれる主要な生成物の一つがCSHゲル(C-S-H gel)で、正式にはケイ酸カルシウム水和物と呼ばれます [1][2][7]。この物質は、コロイド状〜微結晶性まで連続的な状態で存在し得る、複雑な水和物として理解されています。
CSHゲルの特徴的な性質のひとつは、その化学組成が固定されていないことです。カルシウムとシリカの比率(C/S比)は環境条件や材料条件により変動し、しばしばおおよそ1.2〜2.0程度の範囲で議論されます [2]。これは、製パンでいえば小麦粉と水の比率が変わるようなもので、最終的な製品の性質に大きく影響します。
化学式で表すとxCaO·SiO₂·yH₂Oとなりますが、このxとyの値が変動するため、CSHゲルは「定比化合物」ではなく、組成幅をもつ相として説明されることが一般的です。
2.2 CSHゲルの生成場所による違い
CSHゲルは、どこで生成されるかによって性質が変わり得ます。これを理解することは、コンクリートの品質管理において重要です [7]。
まず、セメント粒子の外側、つまり水で満たされていた空間に生成される「外部CSH」があります。このタイプのCSHゲルは比較的密度が低く、繊維状や網目状の形態を取りやすいと整理されます。一方、セメント粒子内部の元の境界内で成長する「内部CSH」は、相対的に緻密な構造を持つ傾向が示されています。
さらに、水セメント比が低い高強度コンクリートでは、より緻密なC-S-H(高密度側の組織)を形成しやすいことが知られており、結果として高強度化に寄与します。
2.3 CSHゲルの微細な特性
CSHゲルの物理的特性を理解することは、コンクリートの性能予測において欠かせません。CSHゲルは非常に大きな比表面積を持つことが報告されており(オーダーとして数百m²/gがしばしば言及されます)、この大きな表面積が物性・輸送特性・耐久性と深く関係します [2][7]。
この大きな表面積は、ナノメートル領域の微細な孔隙構造に強く依存します。これらの孔隙は、コンクリートの透水性や化学的耐久性に大きく影響します [6][7]。また、CSHの層状構造に関する議論では、層間に水分子が関与することが示されており、含水状態の違いが力学・収縮などに影響し得ます [1]。
3. CSHゲルの生成メカニズム
3.1 水和反応の段階的な進行
CSHゲルの生成過程を理解するためには、セメントと水が出会った瞬間から始まる複雑な化学反応の流れを追う必要があります。この過程は段階的に進行し、各段階で異なる現象が起こります。
最初の短時間は「初期反応期」とされ、セメント粒子表面で溶解が進み、溶液中のカルシウムイオンやシリケート種の濃度が上昇します [1][7]。
続いて「誘導期(休眠期)」と呼ばれる時期があり、見かけ上の反応速度が低下する一方で、その後の生成物形成に向けた準備(核生成に関係する過程を含む)が進行すると説明されます [1][7]。
その後「加速期」に入ると、C-S-Hの生成と水酸化カルシウム(CH)の析出が顕著になり、硬化が目に見えて進行します [1][7]。
さらに「減速期」では反応速度は低下しますが、微細構造の発達・緻密化と、未反応粒子の反応が徐々に進むことで、中長期の性能変化(強度増進等)に寄与します [6]。
3.2 ナノレベルでの成長と組織形成
CSHゲルの成長は、単純な「一つの結晶が育つ」モデルだけでは整理しきれない側面があり、ナノスケールの前駆体・微粒子・層状構造の集合として議論されてきました [2]。
成長の場所として、セメント粒子表面や既に形成された水和物の表面が重要な役割を果たします。これらの表面が核生成・成長の足場となり、組織が連続的に発達していくと説明されます [1][7]。
この観点では、C-S-Hが「微小な単位が集まって階層的な構造を作る」という整理が有用で、実際の観察結果や物性のばらつきも説明しやすくなります [2]。
3.3 環境条件が与える影響
CSHゲルの性質は、生成される環境条件によって左右されます。これは、実際の建設現場で重要な要因となります [6][7]。
温度は特に大きな影響を与えます。温度条件により水和反応速度だけでなく生成相・空隙構造の発達が変わり、結果として初期強度や長期強度、耐久性のトレードオフが生じ得ます [3][7]。高温養生では、より結晶性の高い相の生成が関与する場合がある点も報告されており、適用条件の整理が必要です [1][3]。
水セメント比(W/C)も決定的な影響を持ちます。W/C比が低いほど空隙が減り、組織は緻密化しやすく、強度・耐久性に有利となる一方、施工性や自己収縮など別の課題も増えやすいことが知られています [6][7]。一方、W/C比が高い場合は空隙が増えやすく、強度や耐久性の低下につながる可能性があるため、用途に応じた最適化が必要です。
4. CSHゲルの構造に関する理解の変遷
4.1 初期の構造モデル
CSHゲルの構造を理解しようとする試みは、1950年代から始まりました。当時のPowers-Brunauerモデルでは、CSHゲルは天然鉱物のトバモライトに似た層状ケイ酸塩構造を持つと考えられていました [1]。この考え方は、CSHゲルが層状に積み重なった構造で、その層の間に水分子が存在するというものです。
続く1960年代のFeldman-Serendaモデルでは、より現実的な不規則構造が提案されました。このモデルは、CSHゲルの層状構造が完全に規則的ではなく、層間に物理的に結合した水が存在することを示しました。また、「ゲル空隙」という概念が導入され、CSHゲル内部の複雑な空隙構造の重要性が認識されるようになりました。
4.2 現代の階層構造モデル
2000年代に入ると、Jenningsによって提案されたコロイドモデルが大きな注目を集めました。このモデルの画期的な点は、CSHゲルを階層的な構造として捉えたことです [2]。
このモデルでは、微小な基本単位の集合(凝集)によって組織が形成され、集合状態の違いが低密度側・高密度側のC-S-Hとして議論されます。これにより、実際のコンクリートで観察される密度の違いや力学的性質の変化を説明しやすくなります。
一方、2010年代にRichardsonが提案したモデルでは、より詳細な原子レベルの構造が検討されました。このモデルでは、基本層構造とシリケート鎖の架橋によって形成される三次元ネットワークが重要な役割を果たすとされています [2]。
4.3 現在の統合的理解
最新の高分解能分析技術の発達により、CSHゲルの構造についてより詳細な情報が得られるようになりました。現在では、ナノ粒子としての側面、非晶質(連続体)としての側面、両者の特徴を併せ持つハイブリッド的整理など、複数の視点が併存しています [2]。
このハイブリッド的整理では、局所的には秩序構造(結晶性の傾向)を示す領域を持ちながら、全体としては非晶質的なマトリックスとして振る舞う、という理解が議論されます。
5. 強度発現メカニズム
5.1 CSHゲルが生み出す三つの強度要因
CSHゲルがコンクリートに強度をもたらす仕組みは、複数のメカニズムが同時に作用することで説明されます。ここでは実務で理解しやすい形として、三つの要因に整理します [6][7]。
最初の要因は「空間充填効果」です。セメント粒子間に存在していた空間が水和生成物で充填されることで組織が緻密になり、強度向上に直結します。
二番目は「分子レベルでの結合力」です。C-S-Hの層状構造や表面では、ファンデルワールス力、水素結合、イオン相互作用などが関与し、微視的な結合の総和として強度に寄与すると説明されます [2]。
三番目は「機械的な絡み合い(ネットワーク化)効果」です。水和生成物が複雑な形態を取り、三次元的な連続組織を形成することで、外力への抵抗や亀裂進展の抑制に寄与します [7]。
5.2 ナノ〜ミクロ領域での力学的性質
近年の精密測定技術の発展により、C-S-Hの力学特性がナノ〜ミクロ領域で議論されるようになりました。一般に、より緻密なC-S-Hほど弾性率が高くなる傾向が示されており、微細構造の違いがマクロな強度差の一因になると整理されます [2][7]。
ここで重要なのは、単一の数値を断定することよりも、「密度・空隙構造・含水状態・組成の違いが局所物性を変え、それが集積としてコンクリートの力学特性に現れる」という因果を押さえることです [2][6][7]。
5.3 時間とともに変化する強度発現
コンクリートの強度が時間とともに増加する背景には、C-S-Hの生成の進行と、微細構造の発達(緻密化)があります [6][7]。
打設直後〜初期材齢では、水和生成物はまだ十分に発達しておらず、強度も限定的です。材齢が進むにつれて水和が進行し、組織が連続化・緻密化することで、強度が大きく増進します。品質管理で28日強度が基準とされるのは、一般的な配合・養生条件において、その時点で設計強度に到達することが多いという運用上の合理性によります。
ただし、長期的には未反応粒子の反応進行や組織の再配列により、強度が緩やかに増加し続ける場合があります。設計・評価では、材料(混和材の有無)や温度履歴など条件差を踏まえた扱いが必要です [6][7]。
6. 実際の建設現場での応用
6.1 超高層建築を支える高強度コンクリート
CSHゲルの理解は、高強度コンクリートの設計・施工(特に低W/C化、混和材活用、養生条件の最適化)と強く結びついています [6][7]。
超高層建築では、部材の断面を抑えつつ耐力を確保する目的で高強度コンクリートが採用されることがあり、日本でも高強度化技術が発展してきました。個別プロジェクトの適用強度や部位は工事記録・技術報告に依存し公開情報も限定されるため、本記事では特定建築物の数値断定は行わず、一般的な技術論点に絞って説明します。
超高強度コンクリート(例として150 MPa級以上が議論対象になる領域)の製造では、水結合材比を極めて低く設定し、シリカフューム等の微粉末を用いて空隙構造を緻密化するアプローチが一般的です [7]。これにより、C-S-Hを含む水和生成物の充填性が高まり、空隙が抑制されることで高強度化に寄与します。ただし、実際の現場では施工性(流動性・充填性)や温度ひび割れ、自己収縮など課題も増えるため、配合・施工・養生を一体で最適化する必要があります。
6.2 既存構造物の延命技術
CSHゲルの生成メカニズムを応用した補修技術は、老朽化したコンクリート構造物の延命に貢献しています。
例えば、ケイ酸塩系材料を用いて表層部の緻密化や物性改善を狙う工法・製品群があり、目的は(1)表層の空隙低減、(2)劣化因子(塩化物イオン等)の侵入抑制、(3)表層強度・表面品質の改善に整理されます。効果の大きさは、既存コンクリートの状態(中性化深さ、含水状態、ひび割れ、配合)や施工条件に強く依存するため、性能向上幅を一律に断定せず、対象条件と試験結果に基づいて評価することが重要です。
さらに、自己治癒コンクリートの開発も進んでいます。例えば、マイクロカプセルや鉱物混和材、微生物などを利用して、微細ひび割れ部で反応生成物(C-S-H等を含む可能性がある生成物)が形成され、透水性低下やひび割れ閉塞に寄与することが報告されています。ただし、適用可能なひび割れ幅、環境条件(水の供給等)、材齢や繰返しひび割れの影響は方式により大きく異なるため、設計適用では個別技術の実証データに基づく判断が必要です。
6.3 環境負荷軽減への貢献
CSHゲルの理解は、環境に配慮したセメント技術の開発にも活用されています。
高炉セメントB種では、セメントの一部を高炉スラグで置換することで、製造由来のCO₂排出量低減が期待されます [7]。この際、従来のCSHゲルとは組成が異なるC-A-S-Hゲル(カルシウム・アルミニウム・シリケート・水和物)が関与し得ますが、水和生成物による充填・結合・組織形成という基本メカニズムを理解していることで、配合設計や性能評価を体系化しやすくなります [2][7]。
また、石炭火力発電所から発生するフライアッシュを活用した材料では、ポゾラン反応によってC-S-H系生成物が形成されます。この反応は一般に遅く、長期的に物性が変化し得るため、評価期間や要求性能に応じた設計が重要です。
7. 現在の研究の最前線
7.1 観察技術の革新
CSHゲルの理解を進めるため、研究者たちは新しい分析技術を駆使しています。
原子間力顕微鏡(AFM)の発達により、C-S-Hの表面形態や局所的な力学応答をナノメートル単位で観察・評価する研究が進みました。また、固体NMR分光法により、シリケート鎖の状態や局所構造が議論されています [2]。
さらに、コンピューターシミュレーション技術の進展により、C-S-Hのモデル化と物性予測が試みられており、実験では扱いにくい条件の理解に寄与しています。
7.2 制御技術の新展開
CSHゲルの性質を人工的に制御する技術も発展しています。
例えば、ナノスケールの種(シーディング)を利用して水和反応の進行や初期強度の立ち上がりを改善する研究・技術提案があります。効果は材料系・温度履歴・混和剤との相互作用に左右されるため、適用では配合系ごとの検証が必要です。
また、ポリマーとの複合化により靭性や自己修復性など新規機能を付与する研究もありますが、多くは研究・実証段階であり、構造物への適用には耐久性・長期挙動・品質管理手法の確立が論点になります。
7.3 未解決の課題と将来への期待
CSHゲル研究には、まだ多くの未解決課題が残されています。
最大の課題は、CSHゲルの完全な構造解明です。現在でも、原子レベルの詳細配置や、時間とともに変化する動的挙動については議論が続いています。また、CSHゲルの構造と力学的性質の関係を、配合・養生条件から定量的に予測するモデルの整備も重要です [2]。
実用面では、CSHゲルの組成や構造を狙い通りに誘導する技術(ただし現場変動を含めて管理できる技術)の開発が課題です。環境面でも、CO₂排出量を抑えた材料系で同等性能を確保するため、水和生成物の設計と評価が引き続き重要になります。
8. まとめ
CSHゲルの研究を通じて見えてきたのは、日常的に使われているコンクリートの中に、精密で複雑なナノ〜ミクロの世界が存在するということです。セメントに水を加えただけで強固な材料ができる背景には、C-S-Hを中心とする水和生成物が作り出す微細構造が関与しています [6][7]。
現在の建設現場では、C-S-Hに関する理解に基づいた技術が、低W/C化、混和材活用、養生最適化などの形で実務に反映されています。一方で、CSHゲルにはなお多くの謎が残されています。構造と物性の関係をより精密に理解し制御することができれば、より高性能で環境負荷の小さいセメント系材料の開発が進むでしょう。
参考文献
- Taylor, H.F.W. (1997). Cement Chemistry (2nd ed.). Thomas Telford Publishing, London.
- Richardson, I.G. (2008). The calcium silicate hydrates. Cement and Concrete Research, 38(2), 137-158.
- Lothenbach, B., Matschei, T., Möschner, G., & Glasser, F.P. (2008). Thermodynamic modelling of the effect of temperature on the hydration and porosity of Portland cement. Cement and Concrete Research, 38(1), 1-18.
- 一般社団法人セメント協会 (2021). セメント系材料の基礎知識. セメント協会.
- 土木学会 (2022). コンクリート標準示方書[材料編]. 土木学会.
- Neville, A.M. (2011). Properties of Concrete (5th ed.). Pearson Education Limited.
- Mehta, P.K., Monteiro, P.J.M. (2014). Concrete: Microstructure, Properties, and Materials (4th ed.). McGraw-Hill Education.
注記
本記事はセメント化学・コンクリート材料に関する一般的な解説を目的としています。個別の構造物や工事における材料選定・配合設計・施工条件の決定は、適用規準・仕様書・技術資料および専門家の判断に基づいて行ってください。
