CSH をはじめとする水和物は、結晶のようにはっきりした“式”を持たず、温度・水量・混和材の組み合わせで姿を変えます。「結局、どの相が、どれくらいできるのか」——この素朴な疑問に真正面から答える道具として整備されたのが熱力学モデリングです。2006 年に Lothenbach と Winnefeld が OPC 水和の相平衡と溶液化学を一体で予測する枠組みを示し、2007–2008 年には水和物の標準生成データ(平衡定数)や温度依存の扱いが磨かれました。2017 年の総説・章立てでは、**ブレンド系やカルシウムスルホアルミネート(CSA)**までを視野に、手順と解釈が“ほぼ標準語”になったと言ってよい段階に到達します。
1. 何を入力し、何を出力するのか
熱力学モデリングが頼るのは、材料の化学組成(クリンカー、石灰石、スラグ、フライアッシュなど)と環境条件(温度・相対湿度・CO₂ など)です。反応は「ギブス自由エネルギーが最も低くなる組み合わせ」に進むという物理法則に従うため、溶液(間隙水)のイオン濃度と固相(CSH、AFt/AFm、CH、ハイドロタルサイト等)の組み合わせが同時に求まります。時間そのものは式の外ですが、水和度の進行(例えばクリンカーの反応率を外部から与える)と併用すれば、材齢に沿った相変化のシナリオを描けます。ここで鍵になるのが、信頼できる熱力学データベースと固溶体の扱いです。
2. 2006:OPC 水和の“全体像”を計算で描いた最初の定着点
2006 年の論文は、OPC の水和でどの水和物が主役になるか、そして間隙水のアルカリ濃度がどう推移するかを、TGA・XRD・抽出間隙水分析と整合しながら示しました。特に現場感のある示唆として、微量の石灰石(微粉 CaCO₃)を含むだけで AFm がモノサルフェートからモノカーボネートへ寄る、という結果が挙げられます。石灰石微粉入りセメントが普及するいま、硫酸塩バランスや膨張・収縮傾向を読むうえで外せない“基礎の基礎”になりました。
3. 2007–2008:データの整備と温度の効果——「50 ℃の壁」を言い当てる
次に必要だったのは、AFt/AFm、ハイドロタルサイト、ハイドロガーネットといった相の標準生成データを定め直す作業です。2007 年のレビューは、セメント系に現れる主要水和物の平衡データを体系化し、AFm の炭酸塩化や硫酸塩との置換の扱いを前進させました。続く 2008 年の研究では、0–60 ℃の範囲で相平衡と間隙水の温度応答を追い、およそ 50 ℃付近でエトリンガイト(AFt)やモノカーボネートがモノサルフェートへ転じやすいという、実務でもよく知られる「温度のしきい値」を計算で再現しています。蒸気養生・高温施工・マスコンの熱履歴など、温度が相組成をどこまで動かすかを見積もる定規が、ここで事実上そろいました。
4. 2017:ブレンド系・CSA・三元図による“設計言語化”
2010 年代に入り、モデルは混和材が当たり前の配合へ対応を広げます。2017 年の章では、ポルトランド系+石灰石/フライアッシュ/スラグといったブレンドで、水和物体積の三元図を使った実務的な読み方が提示されました。これは、配合の矢印を動かすとCSH・AFt/AFm・CH の体積や比率がどう移るかを視覚的に示すもので、耐硫酸塩性・塩化物固定・炭酸化耐性といった耐久設計の一次判断を相平衡の地図で説明できる段階に達したことを意味します。以後、データベースは AAM(アルカリ刺激)まで視野を広げ、C-(A-)S-H/C-(N)-A-S-H の扱いも現実的になっていきます。
5. なぜ「熱力学」が強いのか——数式の力より“比較可能性”
この手法の強みは、装置や研究室が違っても比べられることです。水和は複雑ですが、最終的に釣り合いを決めるのは化学ポテンシャルであり、入力(化学組成・温度・水量)が同じなら出力(相組成・溶液化学)は再現できます。これにより、配合の小さな違い——例えば石灰石 3% 増、スラグ 10% 置換、w/b −0.05——が、AFm の種類や CSH の Ca/Si、アルカリ濃度をどう動かすかを“定量のことば”で議論できます。現場での膨張・収縮・耐久の予兆を、相平衡の視点から先回りできるのです。
6. 一般読者の直観でたとえると
ケーキ作りを想像してください。粉(クリンカー+混和材)と水と温度が決まれば、**焼き上がり(相組成)**はおよそ決まります。しっとり(CSH 多め)か、層のバランス(AFt/AFm)か、残る砂糖塊(CH)か。熱力学モデリングは、レシピとオーブン条件から“焼き上がりの質感”を先に描く手法です。焼いている最中のふくらみ方(速度)は別の話でも、最終的な断面は高い精度で予想できる——この頼もしさが、標準化を後押ししました。
7. 研究を始めたばかりの人への“使い方の勘どころ”
最初は、一つのセメント・一つの温度で、石灰石置換の有無の二条件を比べてみるのがおすすめです。得られたAFm の置換(モノカーボネート化)やCH 量の差を、XRD・TGA・間隙水抽出で確かめると、計算—実験の往復が一気に腑に落ちます。次に、同じモデルでスラグ/フライアッシュの置換を増減し、水和物体積の三元図を読む練習をすると、配合の“効き方”が見えるようになります。ここまで来れば、**塩化物固定(AFm のアニオン交換)や炭酸化(AFt/AFm/CH の安定性)**も、相平衡の言葉で語れるようになります。
8. 限界と併走の発想
熱力学は何が最終的に安定かを答えるのが得意で、**“どれくらいの速さで行き着くか”は別のモデル(反応度モデル、移動現象、界面動力学)の領域です。また、CSH は厳密な平衡相ではないため、固溶体モデルの仮定が出力に影響します。実務の意思決定では、熱力学(最終像)とインデンテーションや等温線(力学や履歴)、散乱・NMR(ナノ構造)を複式簿記で突き合わせ、「十分整合しているか」**を明示するのが賢い使い方です。
まとめ
2006 年以降の Lothenbach 系の仕事は、OPC 水和の基礎像を“数で語れる”ようにし、温度・石灰石・ブレンド材の効果を地図化しました。2017 年には設計の言語としての完成度が高まり、のちのC-(A-)S-H/AAM拡張や劣化モデリングの受け皿になります。**「何が、いつ、どれだけ」**を化学から見積もる——このアプローチは、配合設計と耐久設計の共通土台として今も有効です。次回は 2010–2019|C-A-S-H と C-S-H(基礎編)。Al 置換が骨格と物性をどう揺らすかを、一段深く見ていきます。
参考文献
- Lothenbach, B., & Winnefeld, F. (2006). Thermodynamic modelling of the hydration of Portland cement. Cement and Concrete Research, 36(2), 209–226. DOI: 10.1016/j.cemconres.2005.03.001(抄録/入手先:ScienceDirect・OSTI) サイエンスダイレクト+1
- Matschei, T., Lothenbach, B., & Glasser, F. P. (2007). Thermodynamic properties of Portland cement hydrates in the system CaO–Al₂O₃–SiO₂–CaSO₄–CaCO₃–H₂O. Cement and Concrete Research, 37(10), 1379–1410. DOI: 10.1016/j.cemconres.2007.06.002(抄録:ScienceDirect) サイエンスダイレクト+1
- Lothenbach, B., Matschei, T., Möschner, G., & Glasser, F. P. (2008). Thermodynamic modelling of the effect of temperature on the hydration and porosity of Portland cement. Cement and Concrete Research, 38(1), 1–18. DOI: 10.1016/j.cemconres.2007.08.017(要旨:OSTI・各種ポータル) OSTI+1
- Lothenbach, B., & Winnefeld, F. (2017). Thermodynamic modelling of cement hydration: Portland cements – blended cements – calcium sulfoaluminate cements. In H. Pöllmann (Ed.), Cementitious Materials: Composition, Properties, Application (pp. 103–144). De Gruyter. DOI: 10.1515/9783110473728-005(本文:出版社ページ) De Gruyter Brill
- Lothenbach, B., Winnefeld, F., Alder, C., Wieland, E., & Lunk, P. (2007). Effect of temperature on the pore solution, microstructure and hydration products of Portland cement pastes. Cement and Concrete Research, 37(4), 483–491. DOI: 10.1016/j.cemconres.2006.11.016(抄録:各種ポータル)
