2011|Scrivener–Nonat:水和メカニズム総説(“現在”と“これから”)

「セメントは、なぜ・どの順番で・どれくらいの速さで固まるのか?」
2000年代に進んだ構造の理解(CSH の鎖長・LD/HD・顆粒体・非乾燥密度・原子モデル)は、“できあがった硬化体の姿”を鮮やかにしました。一方で、水和の進み方そのもの――最初の数分から数日までの反応の段取りと律速――を整理した決定版が、Scrivener と Nonat による2011年の総説です。そこに並走する形で Bullard らの**“Mechanisms of Cement Hydration”も刊行され、「誘導期→加速期→減速期」**の教科書的な流れを、溶液化学・結晶成長・相互作用という共通言語で再定義しました。この記事では、専門用語をできるだけ噛み砕きながら、**現場の判断に役立つ“水和の地図”**を描き直します。


1|水和は“ぬれる→黙る→走る→落ち着く”

打設後、ミキサーから出たペーストは数分で反応熱がピクッと上がる(瞬間的溶解と初期沈殿)。すぐに静かな“誘導期”に入り、数時間たつと“加速期”で一気に硬さが立ち上がり、その後は“減速期”に移って長い時間軸の反応へと滑り込みます。
この流れを司っているのは、ざっくり言えば「溶ける早さ」と「新しい固体(CSHやエトリンガイト)が育つ早さ」の綱引き
。とりわけC₃S(アリット)では、表面に生まれるCSH の“皮膜”が溶解を抑えたり、核生成と結晶(非晶)成長の舞台になったりします。ここにアルカリ・石膏(CaSO₄)・アルミネートの化学が絡み合い、C₃A の暴走を石膏が制御しながらエトリンガイト(AFt)を形成、その後のAFm(モノサルフェート等)への移行タイミングが全体の速度論を揺らします。
言い換えると、“いつ硬くなるか”は、C₃S の表面でどれだけ核が生まれるかと、C₃A–石膏のバランスでどれだけスムーズに舞台が整うかで決まるのです。


2|誘導期は“休憩”ではなく“段取り”

かつては「誘導期=反応が止まっている」と見られがちでした。いまの理解では、溶液のイオン濃度が立ち上がり、C₃S 表面には薄い CSH 層が生まれ、アルミネート側では石膏を取り込みつつ AFt が芽吹く――つまり次の加速への“段取り”が静かに進んでいる時間です。
この段取りを短くする
には、シーディング(CSH の核をあらかじめ入れる)や高いアルカリ度微粒子添加による核形成サイトの増加など、核生成の初期条件を整える手が効きます。逆に、石膏が不足すると C₃A が先走って瞬間的な硬化(フラッシュセット)のリスクが上がり、過剰だと加速の立ち上がりが鈍る――硫酸塩バランスは、まさに“段取りの手綱”です。


3|加速期は“核が増えて面が伸びる”

加速期の主役は核生成と成長。C₃S から出てきた Ca と Si が溶液中で過飽和をつくり、CSH の核が次々と生まれる。核が増えるほど新しい表面面積が増え、さらに沈殿が加速する――この正のフィードバックが“走り”を生みます。
ここで効いてくるのが、前段で紹介してきたCSH の姿です。**鎖長(Q¹/Q²)**が伸び、グロビュール(粒子)が育ち、接触ネットワークが組み上がるほど、弾性と強度の立ち上がりは速くなります。若材齢の湿潤・内部養生は、この“走り”を途切れさせずに育てるための操作だと言えます。


4|減速期は“補給が難しくなる”

走り続けるうちに、反応面への“補給”が難しくなる。空間の制約や拡散の遠回り、反応で生じた生成物による表面の被覆が進み、成長の速度は落ち着く。この段階では、熱力学モデリングが“最終的に何がどれだけできるか”の行き先を、拡散や界面速度論が“どれくらいの速度でそこへ近づくか”の道のりを教えてくれます。
つまり、相平衡(行き先)×速度(道のり)配合と養生は、この二つの地図を若材齢から中長期にわたって破綻なく繋ぐ設計だと捉えると、判断がブレません。


5|アルミネートと石膏:舞台監督の仕事

C₃A は非常に反応性が高いため、石膏(CaSO₄)がいないと即座にエトリンガイトではなく不安定な水和物を次々に作り、セッティングが破綻しがちです。適切な石膏量溶解速度が確保されていれば、エトリンガイトが先に“足場”を作り、AFm への移行が穏やかに進む。
温度が上がれば石膏の溶解AFt/AFm の安定関係が動き、50 ℃近傍での相転換が顕在化する――この振る舞いは熱力学モデリングでも再現されており、蒸気養生・マスコンの温度履歴と不可分です。硫酸塩バランスは配合の“最後の微調整”ではなく、時間軸全体の演出だと心に留めておくべきでしょう。


6|“構造の時代”と“速度の時代”をつなぐ

この総説の意味は、構造の地図(CSH の鎖長グロビュール顆粒体の接触非乾燥密度原子モデル総散乱PDF)で得た知見を、水和の時間地図翻訳可能にしたことです。
たとえば、初期に鎖が伸びやすい条件(低めの C/S、適切なアルカリ、外部からの核供給)は、加速期の立ち上がりを支えます。若材齢の乾燥急激な温度変化は、通路の開閉(等温線の履歴)を荒らして不可逆収縮を増やし、接触ネットワークの育ちを妨げます。配合—養生—環境の三位一体を、水和の段取り × CSH の育ちという二軸で語れるようになった、これが2011年の大きな収穫でした。


7|一般読者の直観:パン作りの比喩

パン生地を思い浮かべてください。こねる(混練)と酵母が起きる(初期反応)。しばらく発酵を待つ(誘導期)。温度と湿度が整うとぷくっと膨らむ(加速期)。焼きに入ると膨らみは落ち着き、中まで締まる(減速期)
セメントの水和も、微生物のかわりにイオンと結晶核が動き、温度・水分・材料の配合膨らみ方(強度の立ち上がり)を決めます。発酵を焦らない、乾かし過ぎない、温度を暴れさせない――パン作りの心得は、そのまま若材齢養生の鉄則です。


8|研究を始めた人への作法:同じ試料で“複式簿記”

水和メカニズムを自分の試料で追うなら、同一バッチで**(a)等温カロリメトリー(段取りの“地図”)(b)間隙水分析(アルカリ・硫酸塩のバランス)(c)XRD/TGA(AFt/AFm/CH の推移)(d)DVSとナノインデンテーション(等温線と弾性)時間分解で突き合わせましょう。さらに熱力学計算**で“行き先”を当て、29Si NMR や PDFで“骨格の育ち”を測れば、**速度(段取り)と構造(できあがり)**が一枚の地図になります。
大事なのは、前処理(乾燥・温度歴)をそろえること。違うバッチ・違う前史のデータを足し算しても、水和の段取りは見えてきません。


9|低炭素時代への橋渡し

Scrivener–Nonat は、混和材(スラグ・フライアッシュ・石灰石)が加わる時代の“水和の言語”も拓きました。溶液化学(アルカリ・硫酸塩)と核生成のバランスが変わるほど、誘導期と加速期の形は変わる。CSH の鎖長や密度の最終像だけでなく、そこへ至る道筋を意識して設計する――これが低水結合材比・低クリンカー配合を成功させるコツです。


まとめ

「誘導期→加速期→減速期」という見取り図に、イオンの段取り・核生成・相互作用(C₃A–石膏)というエンジンを組み込み、構造の地図と時間の地図を架橋した――2011年の二本の総説は、研究者にも実務者にも同じ言葉を与えました。以後の十数年、等温線・PDF・ナノインデンテーション・熱力学・原子モデルをつなぐ“複式簿記”は、この言葉の上に積み重なっています。
次回は2013–2017|定量PDFと CSH 鎖の議論。距離で測る“秩序と乱れ”が、鎖長や C/S とどう呼応するかを深掘りします。


参考文献

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