CSH年表④|石灰と珪酸の化学:CSHにつながるシンプルな反応入門(〜1900)

シリーズ第4回は、**「石灰(CaO/Ca(OH)₂)と珪酸(SiO₂)が水の中で出会うと、なぜCSHになるのか」**という、一見素朴でいてセメント科学の根幹にある話を丁寧にほどきます。時代設定は依然として19世紀末の“前史”。当時の研究者は、現代の精密機器を持たずとも、石灰—珪酸—水という三者のふるまいから、のちにCSHと呼ばれる主生成物の存在へと近づいていきました。この記事は、一般読者が直感でつかめる説明を軸にしつつ、研究の入口に立った学生・院生にも役立つ“座標軸”を与えることを目指します。


1. いちばん短い答え:水は“溶かして、運び、再び固める”

粉を水に入れると、とけないはずのものが動き出す。石灰は強アルカリの溶液(Ca(OH)₂水溶液)をつくり、そこに珪酸(シリカ)の細かな粒が触れると、表面から少しずつ溶けて(Si(OH)₄などの形で)水中に出ます。水の中ではカルシウムイオン(Ca²⁺)とケイ酸種が出会い、過飽和になったところで新しい固体が生まれる――これがカルシウムシリケート水和物(CSH)です。
重要なのは、これは“乾いて固まる”のではなく、溶解→移動→再沈殿(析出)という化学の往復運動でできあがる、という点です。だからこそ、水はただの溶媒ではなく反応の舞台
になります。


2. pHが主役:なぜ石灰は反応を“引き出す”のか

石灰が水と会うと強アルカリ(pH 12〜13)の溶液をつくります。この高いpHは、シリカ表面のSi–O–Si結合を徐々に開き、ケイ酸種を溶出させるトリガーです。pHが低ければSiはほとんど動かず、CSHは生まれません。逆にpHが高すぎると、今度は**カルシウム水酸化物(ポルトランダイト)が優先して析出し、CSHの生成が遅れることもあります。
つまり、石灰は“アルカリ性という環境”を通じてシリカから反応可能な種を引き出すレバーであり、Ca²⁺の供給源でもある。CSHは
Ca²⁺とケイ酸種の“落としどころ”**として、溶液から析出してくるのです。


3. 反応の着地点:C/S比という“性格づけ”

CSHにはひとつの決まった化学式があるわけではありません。Ca/Si比(C/S比)が1.2〜2.0程度の幅で変化し、これが硬化体の性格を左右します。Caが多ければCSHの周囲にCa(OH)₂が共存しやすく、アルカリ緩衝能や炭酸化の進み方が変わります。Siが多ければ鎖状シリケートの割合が高まり、緻密さや収縮の出方に影響します。
19世紀当時はこの“幅”の正体を知らなかったものの、石灰の量やシリカの種類(石英粉か、活性の高いシリカフュームに近いものか)によって強さや耐久の出方が違うことは実感されていました。のちの溶解度測定や熱力学整理は、こうした経験則にC/S比という目盛りを与え、どの条件でどんなCSHが析出しやすいかを地図にしました。


4. 表面が決める“最初の一歩”:石英と非晶質シリカは違う

同じSiO₂でも、結晶(石英)と非晶質(オパール、シリカゲル、超微粉シリカなど)では、溶けやすさが大きく違います。非晶質は表面の結合が緩く、アルカリ水溶液での溶解→再沈殿が進みやすい。だからポゾラン反応(石灰+活性シリカ → CSH)は、石英粉よりも非晶質シリカの方が早く、たくさん進みます。
この“表面の活性”の違いが、どの場所からCSHが生まれるかにも影響します。石灰粒の周り、シリカ粒の周り、あるいは間隙の中――CSHの“生まれ故郷”が偏ると、骨格のつながり方空隙の埋まり方が変わる。強度発現や収縮の出方に差が出るのは、この微視的な生まれ場所の違いが積み重なるためです。


5. 「溶ける/育つ」をつなぐ二つの時間スケール

混ぜてすぐは、主に溶解が進む時間帯。水の中にCa²⁺とケイ酸種が溜まり、臨界過飽和を超えると、今度は核形成→成長が加速します。核が生まれると周囲の過飽和が解消し、再び溶解が優勢になる――この“押し引き”を繰り返しながら、CSHのネットワークが育っていきます。ここで効いてくるのが、拡散表面反応のどちらが速いかという比較。
水が豊富で距離が短ければ、表面反応律速になりやすく、CSHは粒の周りに均一な殻として育ちがち。逆に水が乏しく拡散距離が長いと、拡散律速で局所的に育ち、つながりにムラが出やすくなります。セメントペーストの“きめ”は、この二つの時間スケールのせめぎ合いが形にしたものです。


6. CSHは“ひとつの鉱物”ではない――それでも化学は語れる

CSHは完全な結晶ではなく、ナノスケールの不完全な秩序をもつ集合体です。古くは天然のトバモライト/ジェンナイトを参照構造として眺め、現代ではナノ粒子のコロイド集合として捉える考え方が主流になりました。
「結晶ではない=化学で語れない」わけではありません。溶解度活量過飽和度核形成の障壁といった溶液化学の語彙で、いつ・どこで・どんなC/S比のCSHが生まれやすいかをかなり精密に予測できます。これが、配合(w/c、微粉、活性シリカの有無)から発熱曲線早期強度を読み解くになっています。


7. 一般読者のためのたとえ:レモン水と“にごり”の話

砂糖水はどこまでも透明ですが、レモン果汁を入れて強アルカリを加えると、時に白いにごりが出ます。溶けていた物質が過飽和になって小さな粒として現れるからです。CSHも似ています。水に溶けたCa²⁺とケイ酸種が、目に見えない小さな“粒”として現れ、互いに引き寄せ合ってつながった骨格をつくる。にごりが安定して残るのは、粒が大きくなり過ぎず、ちょうどよい速さで作られ、ちょうどよい速さで集まっているからです。
セメントが硬くなるときも、実は同じような**“にごりの育ち方”**が、ずっと小さな世界で進んでいます。


8. 研究を始めたばかりの人へ:最初に押さえる実験の作法

もし人工的にCSHを合成して性質を確かめたいなら、Ca/Si比pH液固比温度を決めて、十分に時間をかけて平衡に近づけることが大切です。合成後は、乾燥で構造を壊さないように穏やかな脱水(低温・溶媒置換)を心がけます。XRDで結晶ピークが弱くても、29Si NMRや小角散乱を併用すれば、鎖長密度の手がかりが得られます。
実用配合では、こうした理想条件から離れて急いで反応を進める必要があるため、核形成サイト(添加微粒子や界面)や外部イオン(Na⁺、K⁺)の影響が強く出ます。基礎化学の“整った世界”と、実施工の“騒がしい世界”を往復して考える癖を、早い段階で身につけておくと理解が深まります。


9. まとめ:石灰—珪酸—水の“ゆるやかな合意”がCSHを生む

石灰はアルカリ環境Ca²⁺を供給し、珪酸は表面から反応可能なSi種を解き放つ。水はそれらを運び、出会わせ、固体として留める。この三者のゆるやかな合意が、C/S比に幅のあるCSHという“最適解”を生みます。
19世紀の研究者は、レンズと化学秤だけでこの姿を直感し、20世紀の溶解度測定や熱力学は、その直感に定量の言葉を与えました。現代のナノ観察・シミュレーションは、CSHが粒子の集まりであることを示しつつ、やはり出発点は石灰—珪酸—水という、素朴で強力な三角関係にあることを再確認させてくれます。

次回予告(#5):体積変化の不思議――硬化・収縮の最初の手がかり(〜1900)。“水が抜ける”だけでは説明できない収縮の始まりを、初期の観察と言葉でたどります。


参考文献

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