2010 年の総散乱(PDF)によって、CSH は「近距離は秩序、遠くは乱れ」という二面性をもつことがはっきりしました。では、その秩序はどれくらいの距離まで続き、どんな条件で短くなるのか。さらに、Ca/Si 比が上がると“どの鎖(Q 種)がどの順番で切れていくのか”。2013–2017 年の一連の研究は、PDF を定量で扱うことで、この二つの問いに実測のスケールで答え始めました。結果として、29Si MAS NMR が示す鎖長の変化と、**PDF が示す秩序長(ミドルレンジの相関長)**が互いに呼応する様子が見えてきます。この記事では、専門外の方にも伝わる言葉で、何が分かるようになったのか/現場でどう役立つのかを一気通貫で整理します。
1|“距離で語る”という武器——PDF の定量化がもたらした視点
PDF(Pair Distribution Function)は、原子同士の距離 r に対する相関を示す曲線です。峰の位置は「どの結合が何 Å にあるか」、峰の鋭さは「それがどれほど揃っているか(秩序の強さ)」を語ります。2013 年頃から、解析範囲 r の切り分けや多相同時フィット、装置の Qmax を確保した測定が洗練され、“局所(〜1 nm)”と“ミドルレンジ(〜2–4 nm)”を分けて読む作法が広まりました。
この結果、局所秩序はトバモライト様が支配的である一方、ミドルレンジの相関は配合・養生・環境に強く依存して短くも長くもなることが、数字として比べられるようになったのです。
2|Ca/Si が上がると何が起こるか——“橋かけ”の系統的な欠落
2017 年の定量 PDF は、合成 CSH(Ca/Si 0.57〜1.47)の系列を通して、Ca/Si が上がるほど Si の“橋かけ四面体(bridging tetrahedra)”が系統的に欠け、鎖が短くなることを明快に示しました。さらに、高い Ca/Si 側ではポルトランダイト由来の Ca–O 相関がはっきりと顔を出すため、“トバモライトに似た骨格+Ca リッチな環境”という、現実のペーストらしい混成像が浮かびます。
この“橋かけの欠落→鎖の短縮”という PDF の読みは、29Si MAS NMR の Q¹/Q² 比の変化と自然に整合します。つまり、NMR が鎖の“種類”を教え、PDF が“距離で秩序の広がり”を教える——二つを同一試料で突き合わせれば、**「どのくらいの Ca/Si で、どの長さまで秩序が保たれているか」**が二重に裏づけられるわけです。
3|“動かしながら測る”——炭酸化その場 PDF に見えた相の入れ替わり
定量 PDF の強みはその場測定でさらに花開きました。2015 年の研究では、合成 CSH を CO₂ に晒しながら PDF を取り続け、カリフラワー状の炭酸カルシウム(バテライト/カルサイト)が芽生え、骨格は脱 Ca していく過程を相の割合の時間変化として描き出しています。
“反応の途中”でも、PDF は非晶質/ナノ結晶/結晶をひとつの物差しで定量できるため、**Rietveld が苦手とする“曖昧な相”**を見落としません。炭酸化で最初に何が崩れ、どのくらいの速さで置き換わるかが分かれば、**耐久設計(被り厚・湿度条件・養生)の議論は平衡(何が最終的に安定か)に加えて速度(どれくらいの速さで起きるか)**の筋を持てるようになります。
4|実務に効く読み方——“秩序長”と“鎖長”の二枚重ね
PDF のミドルレンジの減衰(相関長)は、グロビュールの大きさや集合の整い方に敏感です。若材齢で湿潤・内部養生が行き届けば、通路の急激な開閉(等温線の履歴)が抑えられて、相関長は長めに保たれやすい。逆に、乾燥・加熱・急な CO₂ 供給は秩序を短くし、不可逆収縮や浸透性の増大と響き合います。
同時に、鎖長(NMR)は骨格の連結度を教えるので、シリカフュームで Ca/Si を下げて鎖を伸ばすのか、石灰石微粉を入れて AFm を炭酸塩側に寄せるのか、といった配合の意図を具体化できます。秩序の広がり(PDF)× 鎖のつながり(NMR)の二枚重ねで、“緻密で戻りが利く”硬化体に近づける設計が可能になります。
5|一般読者向けの直観:LEGO と“糸”
CSH の世界を LEGO に例えると、一つ一つのブロックの形と噛み合わせが“局所秩序”、同じ向きで並ぶ距離が“ミドルレンジ秩序”です。ブロックをつなぐ**長い糸(シリケート鎖)が短くなれば、少し離れたところで並びが乱れやすい。PDF はブロックの並び(距離の相関)を、NMR は糸の長さ(鎖長)**を、それぞれ“数”にして見せてくれます。糸を長く保ち、並びを乱さない養生ができれば、丈夫で長持ちするわけです。
6|研究を始めた人への作法:同一バッチで“距離”と“鎖”を一括計測
定量 PDF を自分の試料に当てるなら、まずは同一バッチでPDF(できればシンクロトロン、Qmax を確保)と29Si MAS NMRを揃えるのが近道です。Ca/Si を段階的に振った合成 CSHや、同一 OPC ペーストで養生・乾燥履歴だけを変えた系列を用意し、PDF の相関長とピーク幅、NMR の Q¹/Q² 比、さらにTGA・XRD(CH や AFm/AFt の量)を複式簿記で重ねれば、秩序の長さと鎖の切れ方がひと目で対応づきます。
“試料前史”が揃わないと解釈はすぐ破綻します。前処理(乾燥・再吸水・温度)をそろえ、**解析 r 範囲を切り分ける(低 r=結合/中 r=骨格/高 r=結晶相)**という作法を守ることが、数字の再現性を担保します。
7|限界とこれから——PDF を“地図の一枚”として使う
PDF は距離の相関を高感度でとらえる一方、完全な唯一解をただちに与えるわけではありません。とくに CSH のように非晶とナノ結晶が混在する系では、補助情報(NMR・熱力学計算・原子モデル)と組み合わせて妥当解を絞るのが定番です。近年は多 r 範囲同時フィットや差分 PDF(d-PDF)、その場 PDFが広まり、炭酸化・乾燥・温度変化の“途中経過”も読み解けるようになってきました。秩序の長さを時間で追うフェーズへ、定量 PDF は着実に進んでいます。
まとめ
2013–2017 年の定量 PDF は、CSH の「秩序の長さ」と「鎖の切れ方」を数字で結ぶ道具立てを整えました。Ca/Si が上がるほど橋かけ四面体が抜けて鎖が短くなる、ミドルレンジ秩序は配合・養生・環境に敏感——この二つがそろって見えたことで、NMR・熱力学・原子モデルと矛盾なく話がつながります。現場の言葉で言い換えれば、「どれだけ乾かし、どこまで Ca を動かすか」で CSH の“並び”は変わる。定量 PDF は、その変化を距離で測る共通語になりました。
次回は 2010–2019|C-A-S-H と C-S-H(基礎編)。Al 置換が骨格と秩序の長さをどう揺らすかを、NMR・PDF・熱力学の三点測量で見ていきます。
参考論文
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